その日は12時までお店で仕事をして、床屋ですね、マツモの開口だったので、1時〜2時は海にいました。開口の日にどこで採るか!? 場所は自分たちで決めるから、12時ギリギリまでお客さんをやって、海へ行って場所を探して、サイレンが鳴るんです、合図です。で、2時まで。いつもは終わりもサイレンが鳴るんだけれど、その日は鳴らなかった。でも、「だいたいもう2時だよね? 物も無いし・・・」って大きなゴミ袋に2つくらいを軽トラックに乗せて家に帰って来ました。
寒かったんですよ。それで、こたつにあたって、テレビを見ているうちに地震です。採ってきたマツモは根っこを綺麗に取ってから出荷なんです。「根っこ取んなきゃね〜」って、母に言われたんだけど「テレビが今好いところだから、終わったら〜」なんて話をしました。
1回目の地震では津波が来ると思ってなくて、水槽のこぼれた水を拭いていて、そうしたら2回目の地震が大きかった。テレビが切れたんです。で、テレビの大元が切れたと思ってないから「何で、こんな時にテレビ消すの? こういう時は逆に点けなくちゃ」って言ったら、「いや、何もしてない。切れたんだ」って。「えっ!? じゃあ、電気来なくなった?」そんな感じでした。
外を見たら幼稚園の上に消防車がいる。普通なら「避難してください」とかサイレン鳴らすはずの消防車が上にいる・・・。ウチはペアサッシだったから、外の音が聞こえないんです。家自体は全然壊れていなかった。なんか、静かで、よくわからないから、怖いし、危ないかもしれないって、庭にあった軽トラでワゴン車のところまで行って、ワゴン車に乗り換えて家まで乗ってきて、「まあ、とりあえず避難しましょう」って。
「ひまわりのように」幸田笑美さん(仮名)
[宮城県気仙沼市本吉町]昭和36(1961)年生まれ
投稿日:2012.01.01
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