歌津町でいたときは、年に2回、契約長会議をやっていました。歌津町から町の三役のうち1人が出席するかして、各契約会の代表が出席しました。
今の保健センターのところにあった役場に契約会の誰が行っても、町長がいると、「おーい、こっちへ来てお茶飲めや」と声がかかる。お茶飲むってことは話を聞いてくれるってことです。こういうことだから頼むと、わざわざ陳情に行くんです、そんなふうに、各部落の契約会が気軽に役所を訪れて、街の三役が常に話し合いをしていました。暮れには、各契約会がお金を出し合って忘年会をやっていました。だから、町にまとまりがあったんです。契約会長が先頭に立って部落をまとめて、部落の区長がその下にいるんです。だから浜に行ったら部落の契約会長は強かったんですよ。6500~7000人規模の町だったから、まとまりが早かったですよ。
南三陸町に合併してからはそういうのがなくなってしまったんです。区長にはなにも権限がないし、契約会長の話も町で聞いてくれない。このごろは誰も陳情に行かないし。前は契約会が音頭をとって行くのが普通だったんです。町議会と契約会が顔を合わせる機会はもうないです。今は他の契約会との交流はありません。
「歌津に生きる」小野寺弘司さん
[宮城県本吉郡南三陸町歌津伊里前]昭和21(1946)年生まれ
投稿日:2012.01.01
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