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サメは今はある程度値段がついて、身はかまぼこの粘超剤になり、ヒレはフカヒレの原料になる。気仙沼のフカヒレが、世界で1番おいしいんです。
オーストラリアのほうの海に行くと、大体1匹が300キロ以上あるフカヒレが獲れます。フカヒレの乾燥させない状態は重いんです。でも歯にさわると怖いけどね。ちょっと触ると、もう指なくなるもん。だから、食いちぎられでもしたら、これが縫って治るようなものではないのよ。
今は資源保護の観点から一切獲らないんです。獲ってもいいんだけども、全部記帳して申告しなきゃなんない。身もヒレも数が合わないと駄目なんです。フカヒレは近海のマグロ船が持ち込んでいたんだけど、今、フカヒレを作るところが被災してしまっているでしょ。私がもらえればフカヒレを加工して作ってもいいんですが。あれは干すだけだからね。作り方は、フカヒレを塩漬けにして1か月位置くんですね。その後水で洗い流して、何か月か乾燥させるんです。気仙沼の山の中に行くと、以前はいっぱいヒレが干してあったけれど、今は被災してしまったから、場所があるのかな。このフカヒレは、全部輸出するものなんです。この辺で獲ったアワビだってそうですが、みんな乾燥させて、香港などに高値で食材として輸出していたんですよね。
だから、いかにこれから復興していくかだね。漁師がフカヒレやアワビを獲ってきたって、買う業者が被災していて、不在なら、お金にならないんですよ。いくら、誰それが船もらいました、何か始めました、と言ったって、1カ所だけが稼働したってダメなんですよね。地域が一体化して、全体で動いていかないとどうにもならないと思いますよ。つまり、購買側、販売側が同時に回っていかないと。
こないだ、アワビを調べてみたら、稚貝が流されていなくなっていたんです。大分少なくなった。それなのにアワビを獲っていいもんだろうか、となってしまいます。だから漁業してる人には悪いけど、2年なら2年、アワビを増やすために禁漁にしましょうとか、策が必要でしょうね。アワビの親を獲ってしまったら、数が減る一方ですからね。
市場を見てると、8時間で1日1万円出しますよ、ということで瓦礫を片づけたりとか、堤防とか埋め立てしている人がいますが、9月20日で打ち切りになります。その後どうするか考えていない人もいますよね。私から言わせれば「ふざけるな」と言いたくもなります。市場の中でも復興にむけ努力する人たちとそうでない人たちはまるきり違います。復興までの道のりがあまりにも長く、先が見えないということもあると思いますが、中にはやけになってる人もいるんじゃないでしょうか。飲み屋が再開すれば、そこがいっぱいの人で混んでるっていうものね。そこでお金を使ってしまっている。
私は、義援金も支援金も見舞金も要らないから、前の生活返してくれ、それだけが望みなんです。人によって意識のギャップがすごいもんね。ボランティアの人たちが草を抜いたり、瓦礫を片づけている脇で、「パチンコ屋が開店しました」って地元の人が片付けずに並んでれば、誰だって「人をバカにしてる」って頭にくると思います。そういう人にはガッカリしてしまいます。世の中、そんなこともわかんない人が多いんですよ。「そん時はそん時。どうにかなるべ」じゃないんだ。誰もが、今のうちにしっかりした気持ちで、行動を起こさないとダメだと思いますよね。でなければ、気がついたときには、どうにもならなくなってしまいます。
今一番問題だと思うことは、瓦礫の撤去ですね。何とかしてもらいたいと思います。それから堤防などを早めに直して、それから交通網を整えて欲しい。そういうことは私たちの力ではどうにもなりません。復興というのは、こういう事のうち、一番最初に何をして、2番目にこれ、という組み合わせ次第だと思うんですよ。
今度の災害でも、契約会の財産に山があるから、その山を提供して、昔のまま分散しないで、伊里前を再生したいという動きがあるわけですよ。仮設は2年たったら、どっかへ行かなきゃいけない。その前にね、土地を提供しておいて、造成して、元禄さながらに町割りをしてね、町を作って下さい、ということです。
そんなもの、どんどん進めていいはずなんです。そうでないとね、みんなが高台に行きたいって、てんでに勝手に行ったら町の形態も何もなくなってしまいます。町づくりをする必要がなくなってしまうんです。
ここにはもう、家は建てられないようですよ。今でも許可さえあれば家の権利はあるわけだから、建てたいし、千年に一度しかこんなでっかい津波は来ないと思いますよ。ちっちゃい津波は何度もくるけれど。6mの防潮堤なんかは、チリ地震の津波、あれに耐え抜くように造ったはずだったけれど、それが今度の津波でどこへ行ったか無くなってしまって、防潮堤を作る予定も何も無いようです。
本音を言えば、高台から下に降りて、昔の町並みみたいになるんだったら、そこに行って、町づくりをやってみたいですね。ただ、歌津はまだいいんですよ、志津川なんてあんな広大なところに一軒も家を建てるな、なんていったら、とんでもない話ですよ。代わりの場所がどこにも無いですからね。
伊里前の場合は、この近辺にも契約の山とかそういう共有地がいっぱいあるんですよ。だから、造成費用を国に出してもらえば、来年と言わず造成地は出ると思いますよ。そうでないと対応が遅くなればなるほど、(伊里前を離れたまま)帰ってくる人がいなくなりますから。
今朝も、気仙沼の鹿折(ししおり)まで行ってきましたが、まあ、驚きますよ。工場は焼けてメチャメチャだし、水も来ているし、あれでは寝ることもできません。半年経ってもあの状態とは、酷いものです。1回行ってみたらよく分かると思います。それでは、歌津の復興はどうするのか、という話です。
歌津は海と山の町です。とくに漁業は盛んなので、まず第一次産業を早く立て直したい。
でも、船を揃えるにも、ホタテや貝の動力船だと9トン級の漁船が必要です。そうなると、少なくとも5、6千万円はかかりますから、家を建てるより高くつく。しかも、それは船を揃えるだけの金額で、漁を始めるにも5、6千万はかかります。この地域で考えたら、ワカメや海藻、アワビなどを採る24尺くらいの強化プラスチックの船でも一隻何百万円。それにワカメの資材なんかを揃えると5、6百万円はかかるでしょう。それから、資材を置く土地も必要です。それなのに、土地はない、家もない。土地だけでもあればいいけれど、仮設住宅に入っている人はそれもないんです。しかも、2年の期限が過ぎたら、出て行かなきゃなりません。だから、早い段階で資金が必要です。神戸などの震災とは状況が違うんです。
しかし、「自然にはかなわない」。農業をやるにしても、今回の震災にしても、相手が自然では、どうしようもないですね。これは、吉川英治が書いた『宮本武蔵』を読んで改めて悟りました。武蔵は精神統一のために山にこもり、畑を開墾して自給自足の生活をしたんですね。そして、畑や田んぼは、自然から幾度となく被害を受けました。そのうえで、自然には勝てない、自然を利用しなくてはだめだと悟った。だから、佐々木小次郎との巌流島の対決でも武蔵は朝日を背負って立つ。そこで構えたときに、小次郎の目を朝日がくらますんです。私も、武蔵ではないんだけれど、やはり自然には勝てない、うまく利用することだと、つくづく思います。
契約会では、今回の震災で住む場所を失った方々に、所有している山の一部を譲渡することを考えています。RQ市民災害救援センターの歌津センターも、契約会が貸した土地です。その、ちょうど向かいの平らな山の、10町歩ほどの土地の譲渡も準備が進んでいます。来年の秋ごろには整備が始まるのではないでしょうか。
じつは震災翌日、契約会現会長の千葉正海さんに会いに避難所から出かけていったんです。朝5時ごろでしたが、いませんでした。7時ごろになって、ようやく歌津中学校で会うことができました。
大将(千葉さん)は震災直後、動力船で海へ逃げたんです。津波が来ると分かっていたから。大将は震災の前から、「もし大地震が来たら、俺は船で沖へ逃げる、お前たちはどこそこへ逃げろ」と、家族でマニュアルのようなものを用意していたんです。だから、千葉さんは沖へ出て、そこで一晩泊まって次の朝に陸に戻ってきたんです。
私は千葉さんに、「会長、もうだめだ。伊里前の町は住めない。契約山は全部ただで、みんなにやっぺ」と言いました。千葉さんも、「77世帯分、整地して、もし土地が100でも150でも余ったなら、それは、みんなにやっぺや」と言いました。そこで初めて、契約会の土地譲渡の話が浮上したんです。
大きな事業は町が主体になるだろうからと、その1週間くらい後には会長や副会長が役場に行って、土地の譲渡の提案を行いました。役場に話を通しておけば、あとで勝手にやったと文句を言われることもないと思ったのです。「契約会に入っていない人にも土地ができるわけだから、よろしくお願いしますよ」と、きちんと仁義を切ってきた。
ちなみに、千葉さんは息子が結婚したので、本来なら、もう引退の時期なんです。だけど、今回の震災で大きな事業が動き出したので、来年まで引退はできないと言っていました。
千葉さんは、高台に移転したら、この伊里前の町をちゃんと引き継ごうと言っていたんです。上町切とか下町切とか横橋といった屋号も残して、昔はこういう町だったんだと分かるようにしたいと。そのあと、どうしていくかは分かりませんが、何しろ320年も続いてきた町ですから。私も、最初に町割りをした家の子孫だからとか、そんな意識はないけれど、やはりそうしたいと思います。写真だって、昔のものは全部とってありますから。
ワカメの養殖は被災したけれど、この19日にね、面接があって、本当に養殖を再開したい人は、場所与えてくれるみたいです。一応はワカメの種付けてて、来年はみな共同でやりたいけど、1回にはできないですよね。全部用意すると、何千万もかかるので。それでも旦那はやる気でいるね。
収穫量の見込みは、海が汚れてるけど、状況はいいみたい。畑でもそうだけど、海が底からかき回されて栄養が海の中に出ているらしいです。だから、今まで養殖を10台やってたところが、5台ぐらいで、今までの量ができるって、大学の教授が来て言っていたらしいです。
問題は、現金なのね。今まで漁協に貸しがあったんだけど、現金だから、どの程度やるかが問題です。養殖をやったら何百万もかかるからです。漁業組合では、物を売るのは現金取引ですが、そのお金が後から戻って来るけど、何年先に戻ってくるかは分からない。そうなってくると生活もあるし。
資金は漁協にいちおう当てがありますが、この後、来年か再来年からは、個人で養殖するのは個人がお金を出すことになります。補助は出るけど、国でいつ補助を出すか、2年先か3年先かは分かんないんですね。だから、先に自分でお金を払っておかないと、仕事ができないんです。ここは漁協じゃなくて、個人で払うんです。会社組織にすると、やっぱりあまり良くないって言う人もいます。
早くみんなに家を建ててもらいたいですね。そして漁業に復興してもらいたい。
歌津はここはアワビ漁が有名なんです。だから1日も早く、いくらか後で払ってもいいから、早くアワビ放流して、アワビ養殖でまた盛り上げていきたいですね。ワカメ、牡蠣、ホヤ、ホタテ、あとウニ、ここはほとんどそれで食べているので。それから、大きな船も要りますね。今みんな焼いて無くしてしまっているから、そういう人たちも働きに出るようになればね、良いと思います。国だって、私たちが税金払えるようになればいい思うんですよね。私らの考えはこうです。
とにかくここは、漁業が復興しないと、収入は上がんない。働くことが大切だね。第一に漁業の復興。あとはいいんです。
その、年寄は年寄なりに教えて、「こうやるんだ」って、できないことはやってもらって、行政は応援してね。「特区」にして会社にして、そうしたら水産のやり方が確実に変わります。これはチャンスなんです。言葉で説明してもダメです。漁師は見て覚える。やって見せないと。養殖をやってる人も辞めていく人が多い。そうすると減っていく一方で、どんな店もお客さんが減ってしまいます。それじゃあ町に元気が無くなってしまって尻すぼみです。
だから、「おー、えれぇ儲かった!」って、刺激を送って、若い人を引っ張ってきて、みんなで真似すれば良いと思います。加工屋でも漁師でも、持続性のあるやつでないと、人は引っ張れないと思います。
「特区」にして、会社にして、方法を変えていくには、船も設備も変えていかなければならない。富山の定置網、ホタルイカの定置網で、船に海の水を凍らせて魚を冷やしながら漁をするっていうのを聞いたことがあります。そこでは、26歳の1年の給料が1000万円だって。それならみんな喜んでくるよ。酒も飲まない、たばこも吸わない、文句も言わないなんて最低。これ以上はもう言わない(笑)。
でも、外で稼ぐのは男だ。均等法はダメ。女の人は財布を預かって、男はもう手に金をつかんでないと馬力が出ない。それも1人でやるんじゃない。ここで食堂やるんだって、魚を獲る人、作って売る人、買う人、三拍子そろわなければうまくいかない。1匹狼ではダメなんです。大事なのは「つながり」だと思います。
3年待っててね。また美味しいうに丼を作るから。この(魚竜館の)建物も、全部壊してもいいんだけれど、ある程度目印として残して、全部なくしてしまうと、どこがどこだかわからなくなってしまうと思うんです。畑だったのか、家だったのか・・。大工さんと話したら、5千万円くらいで復活できるって言われました。6千万円でできたら安いもんです。そうしたら、化石だけでなく、大きなスクリーンで津波や被災の様子を映したり、写真とかも展示したら良いんじゃないかと考えています。特に2階のテラスは素晴らしい景観が広がっているので夏はビアガーデンを開きたいと思っています。
これからは、泊浜の自宅も流されたし、高台に工場も兼ねた自宅を建てたいとも考えていますが、工場を入れるには敷地が狭いので迷っています。今度家を建てるとしても、絶対に海の見えるところです。娘には怒られるんだけどね。
山になんて引っ込まねぇよ。海が見えるところがいいよ。あったりめぇだ。
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