東日本大震災 RQ聞き書きプロジェクト 「自分史」公開サイト
文字サイズ
 [キーワード]八幡神社

小泉伝統のお祭り

小泉は3つ部落あんのさ。『浜(はま)(蔵内、二十一浜)』、『町(まち)』、『在(ざい)』と。それから4月8日には、『在(ざい)』の御薬師(おやぐし)さまのお祭りをしたんだね。
8月の13日は、『町(まち)』の八幡様、普通は8月15日に八幡様のお祭りをするけども、『町(まち)』は、なんだか早めに13日にするので、「早稲(わせ)八幡」というんだね。今は勝手に日曜日にやるけどね。9月15日には『浜(はま)』の御天皇(ごてんのう)山のお祭り。そんなのは覚えてんだよねえ(爆笑)。そんな昔のことはよく覚えてるんだけど、今のは忘れるんだよねえ。本当におかしいね、今のことは忘れてんだから。
小泉の虎舞はうちの子どもたちも太鼓叩いたし、孫もやるから、20年以上前からだねえ。
そして御天王山(ごてんのうさま)の獅子舞を、虎舞の後にやるようになったの。それを見て、ちゃっこい(小さい)サヤ(お孫さんの名前)が泣いて、泣いて。踊りだすというと虎が動くんだ。そうすっと「おっかねえ、おっかねえ」って泣いて泣いて。歌生(うとう)(本吉町歌生)のお祭りの獅子舞は最近出てきたけんども、小泉のお祭りのは昔からずっとあったのかな。そして、子どもたちが太鼓叩きに行ったのね。
平磯の虎舞はとても盛んで、中国だのなんだのにも公演に結構行ってるってね。
私が子どもの頃には虎舞なんかなかったし、獅子舞もなかった。
私が子どもの頃のお祭りは、風船を膨らましてバァーっと鳴ったり、そういう売り物がいっぱい出たの。お金をもらって、なんか売り物がなんでも、買うのが一番嬉しかったの。うんうん。そのお祭りよりも、その買うのが面白かったんだねぇ。
その頃は、子どもは太鼓を叩かねえの。叩きたいとは思わない。叩くのは全部大人だったの。男だけ。笛も吹いて、その笛さあわせて太鼓を叩いたんだね。今はどこでも、子どもが叩くね。
私が東京に奉公に出て、こっちにいないとき、そうすっと昭和12~13(1937~8)年ごろだね、そんとき、ここで踊りなんか教える人は、誰もいなかったの。そしたら、堤防の石垣作る人が、米川(登米市米川)のほうから来て泊まって、ここの学校の子どもたちに踊りを教えたんだって。その踊りを今もやるんだってよ。

「福の神」小野寺ちよしさん
[宮城県気仙沼市本吉郡]大正13(1924)年生まれ

小泉地区の神社と神社組織

ここ小泉地区には、昔から小さな集落があって、私は宮司として、八幡神社が本務、それから蔵内(くらうち)という浜の地区の祇園神社も兼務しています。
八幡神社の神職は最初、長男がやっぱりやっておったんですよ。長男が戦死しましたので2番目の兄貴が神職を継いだんです。これも病気で亡くなったんで、地区の方々が、「3番目のお前がやれ。地区に神社の神主がいないと、地区にまとまりがないと大変だから、お前やってくれ」ということで、三男ながら神職をしています。
神社のことをお話ししておくと、お寺さんであれば、何宗派、本山がありますが、日本の神社の総本(そうもと)が伊勢の天照皇大神宮、そこが日本の神社の唯一無二の総本山なんですよ。事務関係は東京の代々木にある、神社本庁が執り行います。会議はわざわざ伊勢まで行くんじゃなくって、神社本庁でやる訳です。つまり、伊勢そのものはお祀り、事務的なこと、日本中の神社に何か連絡をするとか、全員で集まって何かやろうっていう時には、代々木でやるんです。全国の神社は所在地によって東北、関東、近畿、九州などというおおきな9つのブロックに分かれ、さらに都道府県ごとに支所のようなものがあります。

小泉八幡神社について
ご祭神 品陀和氣命/誉田別命(ほんだわけ)*別名:応神天皇(おうじんてんのう)他10柱 
ご利益 出世開運、武運長久 他 
参拝形式 二拝二拍一拝 
由緒 天文12年(1543年)に、本吉郡の小泉城主である三条小太夫近春が、家臣の中舘平五郎信常という者に命じ、豊前宇佐八幡宮(宇佐神宮)よりご分霊を勧請し、一村の鎮守として崇敬したことに始まると伝えられる。
当社創建主となる三条小太夫近春が、葛西家滅亡後、伊達家の配下になるが、旧恩に感じ伊達に心服しなかったため伊達に呼び出され、途中、広渕沼にて討伐を受けるがその時は難を逃れることが出来たという。しかし、翌年、再び呼び出しを受けた近春は、今回はばかりは悟を決め、たまたま、その日が神社の例祭日(8月15日)にあたるため、8月12日に例祭を繰り上げ斎行し出発したという。しかし、結局、途中で再び伊達の伏兵に出合い、打ち果されてしまったため、以来、村人たちは、近春の威徳(原文ママ)をしのび、例祭日を8月12日としたという。
出典:神社データベース

「こどもの国に生きて」山内義夫さん
[宮城県気仙沼市本吉町小泉]昭和2(1927)年生まれ

神社の遺産も流されて

この八幡神社の祭典のときには、いろいろなお祭りの道具がありますが、八幡神社に置いておくと人があまり出入りしないので、盗難などの危険があるんです。ですから、神輿のいろんな飾りも全部外して、獅子頭ですとか、天狗のお面だとか、そう言った貴重なものは全部、家に持ち帰っていました。
その中に木の観音像があったんですよ。これは私の家の家宝だって言うことで、お祀りしてあったんですよ。これは大事なものだからって毎日寝るところの神棚に乗せて。別の棟には、八幡様まで行くのが大変だから、私のうちに八幡神社の分霊で、参拝できる場所を作っておいたのです。そこにも観音像を納めてあったんです。それも津波で無くなってしまいましたね。
お正月には、みなさんが神様参りされるときに、いろんな神飾りを作って差し上げておったわけなんです。年寄りたちに聞かれるんですよ、「全部流されて仮設生活している、今年のお正月はいったいどうすんの?」って。
この海岸地帯の神社は、気仙沼市の十三浜や、石巻の方とか、大分流された神社があります。大谷も、奥にも神社あったんですが、流されまして、道路の近くに赤い鳥居だけが残っています。
そういうところにその、伊勢神宮から、天照皇大神宮っていうお札が配られました。お正月どうすんのって言われるんですけど、なんとか、例年並みに神飾りは作ろうと思ってますと。先祖に申し訳ないという気持ちと、地域の方々の心のよりどころがないと気の毒だという気持ちで、例年の通りのお正月をしようと、そんなふうに考えてます。

「こどもの国に生きて」山内義夫さん
[宮城県気仙沼市本吉町小泉]昭和2(1927)年生まれ

3.11被災

3月11日2時46分、あのときから、津波のことは、ずっと脳裏に刻まれてるんですよ。
私の家はちょっと高いところにあったんで、「津波が来たって家までは来ないから大丈夫だ」ってことで、安心してたんですよ。
地震が起きて、妻は車で外出して家に戻ってきましたが、その途中、ゴオーっと言う音や、ビシビシビシっていう雑音が聞こえてきたんだそうです。それで「これはただごとじゃねえ」ってことで、私たちがサンダル履いて外へ出てみたらですね、すぐとなり50mくらいの距離にある公民館や民家の屋根の方が盛り上がって来たんですよ。津波が来ていたんだね。
「あれ、津波だ、こりゃ大変だ」すぐそこまで来てるってことで、座布団1枚頭に被って、着のみ着のまま、そこの崖を上がっていったんですよ。ちょうど雪が降ってまして、足元が滑るんですよ。ベロベロ、ベロベロ。妻が先に上の方まで逃げて行ったんですが、私はサンダルがずるずるずるずる滑って、しまいに無くなってしまって、探そうとしているところに水が来たんです。
「ややや、こりゃ大変だ」ってことで妻が、上の方から「掴まれ」と手を伸ばしてくれて、私掴まったんですよ。瀬戸際で力が出たんですね。上に上がったところに水がわんわん、わんわん来た。命拾いしたんです。もしあの時一緒にふたりでズルズル滑っていたら、2人とも津波にのまれてさよならだったなって、笑い話にしてるんです。
その後、最初はここの「はまなす」っていうところに1カ月ぐらい避難しました。それからここは事業所で公的な建物ではないということで、あと、ここから車で15分くらいの距離の岩手県津谷川の、閉校した学校の建物に集団で移りました。避難した時には、電話もなにも、通信手段がなく、自分の携帯も津波で流してしまっていました。
また、小泉八幡神社や、私自身の歴史についての記録が自宅にあったのですが、着のみ着のままで逃げたものですから、流されてしまって無いんです。そのことがいつも頭にあるんです。多賀城の資料館にいくらか神社の資料があるんではないかと思っているんですが・・。流された資料は誰が書いたかわかりませんが、漢文で、小泉八幡神社の神職を務める山内家と言うのは、明治5~6年より前は藤原姓を名乗っていた、それで明治何年かに山内姓を名乗ったって、と書かれていたんです。私もそれを見つけて何枚もコピーはしてたんです。それをそっくり一緒にしてたもんですから、全部流してしまいました。

震災の日は、長女は仙台におりましたけども、次女の方が気仙沼の、南郷って、一番水が来る場所に家があって、そこにいる孫は当時小学校の6年生だったんです。小学校の校長が偉かったんですね。子どもは全部校舎に入れろと指示を出して、校庭を出てった小さい学年の子どもも全部校舎の中に入れて、3階に上がらせたんですね。学校は3階建てて、その上は屋上でした。
その近くが、すぐ気仙沼湾。火出た、その近くなんですよ。子どもたちは暗くはなるし、火は出てくるし、真っ暗になるし、泣き喚いたんでしょうね。次女は、娘が小学校にいるってわかってるわけです。自分は高台の高校にいて、娘は狭くて、低い危険な場所にいるので、連れていきたい、呼びに行きたいと思っても、津波が来てるから行けないんです。夕方から朝まで泣きどおしだったそうです。
娘の方も、母親のいる場所はわかっているけれど、行きたくっても行けないんだね。次の日の朝は水が引けていたので、自衛隊が来て、孫は自衛隊におんぶしてもらって母親のいる高校に連れて行ってもらい、再会できたんです。

「こどもの国に生きて」山内義夫さん
[宮城県気仙沼市本吉町小泉]昭和2(1927)年生まれ

八幡神社

この八幡神社はヨダワケノミコトをお祀りした神社で、天文12(1584)年に建立されました。桃山時代ですね。当時小泉地区には小泉城があって、殿様の三条小太夫近春(さんじょうこだゆうちかはる)が中舘平五郎信常(なかだてへいごろうのぶつね)を宇佐八幡宮にやって、そのころは交通機関も何もないもんですから、1年かけて歩いて行ってね。九州・大分の宇佐八幡宮が日本全国の八幡様の総本宮なんですよ。格が高くなってくると、八幡「神社」ではなくて、八幡「宮」になるんです。そこから分霊してもらったのが始まりなんですね。小泉城の跡は、今朝磯(けさいそ)の仮設住宅のところにあるんです。
この三条小太夫近春は実は謀反をしてるんですよね。別の殿様についていて、少し勢いが強くなったもんだから、伊達政宗が邪魔だからやっつけようということで、船なんかで来たんだそうです。その時に今朝磯や蔵内の高いところに城を作っておいて、そこから伊達の軍船を弓で射たそうです。上から攻撃するのは簡単。それでああいう城をつくってたらしいんです。
お殿様が住んでるお城は小泉城で、海の近くは敵が来たときに抑えておくものです。近春は伊達に口実をつけて呼び出され、家来を4~5人連れて仙台に向かいましたが、途中の桃生(ももう)で、伊達の家来が弓か、槍なんかを持って待ち伏せしてたんですね。近春側は小人数ですから、家来はやられてしまった。近春は近くの沼に身を隠して、しばらく浮き上がってこなかったそうですよ。
なぜそんなことができたかという、おかしな話があってね。近春が小泉の川に馬に乗って入って馬を洗っていると、河童がいたんだそうです。河童が馬に悪さをしていたので、近春が河童を「お前、そんなことしちゃだめじゃねか」っていきなり押さえて、えらく説教したんだそうですよ。「いや殿様、助けてくれたから大事なことを教えてあげます」と、水遁(スイトン)の術っていって、水に長時間潜っていられる術を授けたんだそうです。それで、沼に身を隠したんですね。
伊達の家来は、「近春は死んだ、もう万歳だから帰ろう」と言って去って行った。伊達の家来が帰った時に、近春はこそこそ上がってきて、小泉に帰ってきたんです。次の年になっても、伊達家からまた、「来い」と命令があって、近春も今年はダメだって覚悟したんですよ。「今度行ってまた水の中に隠れても見つかってしまうだろう」と。それで、もう八幡神社のお祭りは見納めだからと、早めにお祭りをやって、そして覚悟して出て行ったんですね。
それで、一般には八幡神社っていうのは、全部旧暦の8月15日に祭典をするのに、8月13日が小泉八幡神社の祭典日になっています。だから、小泉の八幡神社っていうのは、早生(わせ)八幡って近所から言われています。
さて、近春はやっぱり、沼に逃げたけども、今度は伊達の家来は魚を獲る網を持ってきて、沼をですね、全部さらってしまって、見つかったんですね。そして、その場で打ち首になった。
首をどこに埋めたかよくわかんないんです。昔、小泉の山のあたりを、何かを建てるためか掘ったら、頭蓋骨がひとつ、出てきたんだそうです。近春の頭かどうかはわかりませんが。沼だったところも、もう平地になって、田んぼになってます。だから、この場所ってしかわかんない。石巻の近くです。
こういう歴史的な話を、毎年神社に来る子どもたちに教えたいと思っても、いつもまとまった時間がないんですよね。ちょっとだけお話したら、あとは、「これは何ですか」と子どもから質問を受けたり、子どもが鈴を鳴らしてみたり、それから梵鐘をごーんってやってみたり、遊んで帰るもんだから。いつかはこういうことを教えたいと思っているんですよ。
こういう話は私の記憶にはあるんだけれども、それが果たしてみなさんにお話ししてやれるくらいの根拠があるのかっていうと、私自身ちょっと、自信がないんです。だから漫談みたいなもんかも知らんですけどね。近いうちに多賀城の資料館に行って文献に照らしてみたい、小泉の話をもっと見つけたいと思ってるんですが。

「こどもの国に生きて」山内義夫さん
[宮城県気仙沼市本吉町小泉]昭和2(1927)年生まれ

サケ漁で祈祷

お祭りの時に、小泉の川の方でサケ漁の祈祷をやっていたのを覚えていますね。小学校の低学年くらいの頃でしょうか。サケ漁は昔から小泉地方でやってたんですね。
それで祖父が、朝、サケを獲る漁師が寝泊まりしてた川沿いに行って、「今日も大漁になるように」と祈祷するわけです。孫である私の役目は、小さい太鼓を背負って「さあ、行く行く行く」って祖父と一緒に行って、ご祈祷の間はいて、太鼓を背負って、サケを1本もらって家に戻るんです。祖父は、帰らないで、そこでお酒を飲んだり、ごちそうになります。
私は身体が小さかったから、家まで持ってくるのが重くて大変だったんですよ。祖父が帰ってくると「あ、今朝な、ごくろうさん」って、お小遣いをもらいました。そんな祖父の思い出が、ありますね。
この八幡神社の宮司は私で17代目。それを書き残した文献も全部流して手元にはありません。どこかにあるはずだと思って宮城県神社庁に連絡して、もし文献があったらば欲しいとお願いはしているのですが。記憶にあっても、文献が全部ない、それが一番残念ですね。小泉小学校の子どもたちが、年に一度の「郷土探検」で、担任に引率されてこの八幡神社に来るのですが、そのときに神社の由来なんかをわかりやすく説明するんです。

「こどもの国に生きて」山内義夫さん
[宮城県気仙沼市本吉町小泉]昭和2(1927)年生まれ

小泉の花火

神社の花火を上げた筒は、今は鉄なんですが、その当時は金属は無かったもんですから杉の木を割って、くりぬいて空洞にして、それを竹のダガ、桶なんか作るときに竹を細く切って編んでグルグル回すあれで、合わせて作ったんです。
それが、神社の縁の下にあったのを、だいぶ物心がついたときに見つけましてね。3本ぐらいありましたが、だいぶ年月が経っていて、竹は割れてしまって、合わせた奴が離れてしまっていました。
大人になってから、大工さんに、「古い奴はもう駄目だから、模造品をつくってくれねえか、昔小泉のお祭りの時に花火を上げた、そのひとつの名残としてひとつつくってくれねえか」ということでお願いして、2本ばかり作って貰ったんですね。それと、古くなってどうしようもなくなったのにはシートかけて、神社の拝殿の中に置いてあります。小さいころに小泉の神社の花火を上げたんだな、という思い出が大事にとってあるんですね。
小泉の花火って言うのは当時有名だったそうなんですね。岩手県の方まで応援に行って花火をしたそうなんですけど、その時に昔の家は今のような瓦じゃなくて草ぶきの家が多かったもんで、近くでどんどん花火を上げたら落ちて行って火事になってしまう。そして小泉の花火師がつかまったりしてね。そしてその後小泉の花火も駄目になってしまったんですね。
火薬の配合法など、いろんな記録はあったって聞いていました。たとえば火薬には炭の粉と魁皇の粉とか赤リンとか3種類くらい擦って粉にして、合わせるといい綺麗な花火になるからとか、他の人に読まれると他の人に秘伝が盗まれるから、暗号で書かれていたようですね。今の人たち見たって分かんないんですね。
ある家でその記録を持ってるって聞いたんですが、行ってみたら「ありませんね」って言う事だったんです。そういう記録がここ小泉の大事な大事な財産だったんでしょうけど、今は記録は無いんですよね。花火を上げた筒はあるんですから、それだけでも誰でも見れば分かるってことですね。文面がないんですね。
小泉地区にはそういう文章っていうのが今ほとんどないんですよね。先日も地元の小学校の子どもたちが学校から「郷土探検」っていう授業で来た時に、「昔小泉で花火を上げたんだよ」と筒を見せて話してやってるんです。

「こどもの国に生きて」山内義夫さん
[宮城県気仙沼市本吉町小泉]昭和2(1927)年生まれ

地域の神社とお祭り

私の住んでる地区は、昔は年に2回、春と秋、今は旧暦の10月19日に地域の祭典日があったんです。しかし、今回のこの震災で、地域の神社の宮司さんが不在になっています。歌津には宮司さんが2人いらっしゃったんです。田束山(たつがねさん)を信仰する宮司さんと、うちの方の八幡様の宮司さんが。私たちは八幡様の氏子なんだけど、そこの宮司さんがいなくなってしまったんですね。
お正月には、神棚に飾る幣束や「きりこ」を、宮司さんがみんな切って氏子に渡すわけです。だから、宮司さんが見つからなかったら今年のお正月はどうすんだろうなって思ったんです。
神職と教職を兼ねている人は多いですよ。お寺のお坊さんは、檀家が多ければそれ専属で生活できるわけです。宮司さんなんて氏子がいてもそれで生活できないでしょ。宮司さんの仕事なんて地鎮祭とお祭りとか、年に何回しかないんだから。これから宮司さんをどうするか、氏子は今悩んでるところなのです。今は他の地区の宮司さんにお願いする方法しかありません。宮司さんになるのは、お寺の和尚さんになるより難しいということでした。
「いや、誰でもできんだ、テープレコーダで音を流して、ダンダン、ダンダンって。烏帽子をかぶってやればいい」と冗談でそんな話もしていますが、本当に宮司を務める人がいなければ、ただあの、お正月のお飾りができないんです。都会と違ってわれわれは海と神様と深いかかわりを持って生活してきたんですから。
氏子も、昔は神社に何度も奉納する機会があったわけですが、今は単なる神社を回っての打ち鳴らし、要するに、神楽です。宮司さんの鳴らす太鼓は神楽の太鼓なんです。私自身、神社ではありませんが、青年団で神楽をやったので、ある程度の知識はあるんです。当時ある地区の郷土芸能を伝承しようということで、若い連中5〜6人を集めて、神楽を習いに行ったんです。そして、青年団で芸能部門で県の文化祭に参加して神楽を披露し、優秀な成績を収めたこともあります。
うちの部落で神社は3つあるんです。八幡神社(はちまんさん)ていうのは、各部落にあるもので、そのほかに白山神社、愛宕神社。祭りの時はお神楽で、その3箇所を回ることになっています。神社は、建てる位置も「田束山から見て南南西になんぼ」とか、角度が決まってるんですね。詳しいことは分かりませんが星回りなどが関係しているのかもしれません。

「あした、泣く」三浦清人さん
[宮城県本吉郡南三陸町歌津]昭和29(1954)年生まれ

Navigation

Please use the navigation to move within this section.

3.11被災 4世代同居 8月15日 45号線 1945年7月21日 GHQ JA南三陸 RQ市民災害救援センター SCSミュージカル研究所 あんこ餅 いたこ分け いなご うるし柿道路 おかず おせち料理 おだずもっこ おにぎり おひたし おままごと おやつ お囃子 お寺 お恵比寿さん お盆 お礼奉公 お祭り お茶 お茶っこ お菓子 お蚕 お見合い お金取り かき餅 かくれんぼ かけす かっこ船 かて かてご飯 かてめし かばねやみ かまぼ きな粉 きな粉もち きび きりこ きんとん くわご ごし餅まき ご飯 ご飯組 ささよ さんさん館 しゃれこうべ じゃがいも すかんぽ すみもち そぞめの木 そり だるまさんがころんだ つくしの里 つけ払い つつじ苑 つぶし麦 てなもんや三度傘 ところてん なり物 はっと はまなす はまなすの丘 ひつこ ひまわりおじさん ひまわり温泉 ふくべん ふなだま ふるさと会 ふんどし部隊 ほんにょ めちゃ(結膜炎) もらい湯 もらい風呂 よつこ よもぎ わらじ アイスキャンディー アイスホッケー アイナメ アカハタ アケビ アケボノ アサリ アミタケ アヤメ アワビ アワビの開口 アワビ御殿 アワビ漁 アングロ・ノルマン アンコ イカ イカ釣り イタドリ イチゴ イッポンシメジ イワシ イワシ漁 ウォンビツ ウグイ ウサギ ウサギ追い ウタちゃん ウナギ ウニ ウニ丼 ウニ漁 ウラベニホテイシメジ ウリ ウンクサ エドモンド・ナウマン博士 エビ餅 オキナソウ オート三輪 カカシ カキ カクヤマ カゴ カジカ カジメ カゼ カツオ カツオ漁 カツオ漁船 カツオ船 カナダ カルチベーター カレーライス ガキ大将 ガソリン ガバ キジ キツネ キノコ キノコ採り キノコ栽培 キハダマグロ キャンプ キュウリ クジラ クツワ クヌギ クリ クリスタみやぎ クリスマス雪害 クルミ餅 クロ塗り グミ グランドゴルフ グランドゴルフ協会 グーグル ケッタ ケンケン ゲンジボタル コウ コウカの実 コマ ゴシモチ ゴムはじき サイダー サケ サケの卵の塩漬け サケマス漁 サケ漁 サケ漁の祈祷 サッカー サッパ船 サツマイモ サツマイモの茎 サトウキビ サメ サンマ サンマの油 サンマ御殿 サンマ漁 サンマ船 サン・ファン・バウテスタ号 ザッパ船 シイタケ シカ シベリア抑留 シラス シルバー人材センター シーサイドパレス ジャージ ジョンストン島 スケート スズキ本社 スズメ ストレス スマトラ セリフ神楽 ソバ ソリ ソ連抑留 タカ タコ タタカイ沢 タテゴトアザラシ タヌキ タバコ タバコ(おやつ) タバサミ タピオ タラ チキンレース チフス チャグチャグ馬コ チリ地震 チリ地震津波 ツェッペリン号 ツトコ納豆 テレビ テーラー トウバ トウモロコシ ドジョウ ドジョウの養殖 ドンコ ドンモウ ナマズ ナメコ ナラ ニナガイ ニューギニア ニワトリ ニンジン ハクビシン ハタケシメジ ハノイ ハマ ハヤ ハワイ バコ バス バタンキュー バッタ打ち バフンウニ バブル時代 バンジョ パルプ船 パンスケ ヒエ ヒジキ ヒラタケ ヒラメ ビルマ ビンチョウマグロ ビートルズ フカヒレ フゴ フナ フランス領インドシナ ブランコ ヘリポート ベザーノ ペチカ ホウレンソウ ホウレンソウ部会 ホタテ ホタテのタネ ホタテ養殖 ホタルサミット ホヤ ホルツマーデン ボランティア ボーリング場 マグロ マグロ延縄漁業 マグロ漁 マグロ漁船 マグロ船 マス マツモ マツモの開口日 マラリア マンガ(馬鍬) ミカン狩り ミシンかけ ミヤギシロメ ミュージカル ムラサキウニ メカ メカジキ メカブ削ぎ メバチマグロ メンコ打ち ヤクザ ヤマガカシ ヤマドリ ヤマ学校 ヨシ ヨダワケノミコト ライスカレー ラジオ体操 ランソン ロック ワカメ ワカメのタネ ワカメの芯抜き ワカメ刈り ワカメ拾い ワカメ漁 ワカメ養殖 一の矢・二の矢・三の矢 一反歩 一夜飾り 一歩 一町歩 一畝 一礼 七福神踊り 三井、三菱、峠畜産 三井物産 三公社五現業 三十三観音像 三崎港 三嶋神社 三嶋神社の裏参道 三徳無尽 三本縄 三条小太夫近春 三浦毅 三浦英夫 三陸ホウレンソウ 三陸津波 三陸鉄道 上台ファーム 上品の郷 上山八幡宮 上棟式 上沢分校 上町切 下刈り 下町切 下駄 下駄スケート 不動明王像 中井小学校 中国 中国からのお嫁さん 中国残留婦人 中国残留孤児 中学校 中学校教員 中標津町 中瀬 中瀬町 中舘 中舘平五郎信常 丸太出し 丸目 乾燥ワカメ 予備士官学校 予科練 予科練隊 二十一浜 二本縄 互助会 五日町 井上康生 交通 人間関係 今朝磯 仙北鉄道 仙台 仙台84連隊第12中隊 仙台味噌 仙台市苦竹 仙台軍需工場 仙台銀行 仙石線 代掻き 代用教員 代用食 仮設住宅 仮設校舎 仲人 伊勢 伊勢神宮 伊達家 伊達政宗 伊達藩 伊里前 伊里前の市 伊里前契約会 伊里前小学校 伝統食 伝説 伽藍 低体温症 佐沼 佐藤正信 佐藤正助 体育大会 作並街道 作業小屋 作男 例祭 保健センター 保存食 信用組合 信用金庫 修学旅行 備え 傾城 阿波の鳴門~巡礼歌の段 元旦 元朝参り 兎汁 入谷 入谷小学校 全日本少年武道錬成大会 八幡様 八幡神社 八百万の神 公務員 公民館結婚式 六丸 兼六園 兼業 再建資金 冒険 冠婚葬祭 冬の遊び 冷凍網 出征 出稼ぎ 出笹沢 切り子 刈払い 刈掃い 初任給 刺し網 刺身 剣道 加工団地 加工場 助教 動力船 勤労奉仕 北上川 北洋船団 十三浜 十五夜 千島列島 千歯こき 千葉正海 半農半漁 南三陸町 南三陸町民族無形文化財 南三陸町町議 南寧 南方 南満州鉄道 南部神楽 南郷 参詣 及川甚三郎 友好町 古代装束 古文書 召集令状 可美村 台湾 右もらい、左もらい、カギ持ち 合併 合併協議会 合祀餅 吉三郎沢 吉野沢 名足 名足小学校 名足浜 向洋高校 味噌 味噌汁 品陀和氣命 哈爾濱 唐桑 唐桑尋常小学校 唐桑小学校 商工会 喜多流 喧嘩 四海波 回遊魚 囲炉裏 囲炉裏端 国民学校 国立海上技術短期大学校 国立清水海員学校 国際交流 国際交流協会 国際魚竜化石サミット 土俵作り 土葬 地主 地域振興協議会 地場産業 地方銀行 地鎮祭 地震 地駄引き 坂上田村麻呂 垂下式 堤防 塩入 塩水選 塩蔵ワカメ 塩釜 塩釜神社 増産隊 壇ノ浦 壊邑館 夏休み 外国人留学生 外材 多賀城歴史資料館 多賀城資料館 大害沢 大工 大工見習い 大日如来 大東亜戦争 大根 大根おろし 大根の葉 大漁旗 大漁祈願 大畠章宏国交省大臣 大盤峠 大祭 大網 大胴太鼓 大蔵流 大規模半壊 大謀網漁 大谷 大谷地区 大谷小学校 大谷海岸 大谷金山 大谷鉱山 大豆 大連 大連鉄道学院 大雄寺 大麦 天保年間の津波 天宇受売尊 天岩戸開き 天津児屋根尊 天然ワカメの干し場 天然記念物 天照大神 天照皇大神宮 天狗の面 天皇 天皇陛下バンザイ 天草 天草つき 天草の開口 太平洋戦争 太鼓 奉公 奉公袋 奉天 契約会館 契約講 奥尻 奥州藤原氏 奥浄瑠璃 女の沢 女学校 女川防備隊 妙音寺 嫁入り 子どもの遊び 子供キャンプ 孝子お筆重次郎 学制発布 学徒動員 学頭 宇佐八幡宮 宇佐神宮 安倍貞任 安東 安波トンネル 定置網 実習操業 実習航海 実習船 宮司 宮城丸 宮城球場 宮城県教育委員会 宮城県本吉響高等学校 宮城県水産高校 宮城県津谷農林学校 宮城県津谷農林高等学校 宮城県津谷高等学校 宮城県社会福祉課 宮城県神社庁 宮城県青年団連絡協議会 宮城農学寮 宮城野原総合運動場 宮城野青年学校 宮大工 宵月 家畜保険 家畜商 家畜車 家督 寂光寺 寄木 寄木仮設 密漁 密航船水安丸 寺子屋 将棋クラブ 尋常小学校 尋常高等小学校 小作人 小名浜港 小型船舶免許 小学校 小屋の沢 小林司教 小正月 小泉 小泉の歴史 小泉の祭り 小泉の花火 小泉中学校 小泉八幡様 小泉八幡神社 小泉城 小泉小学校 小泉幼稚園 小泉進次郎 小漁 小豆餅 小野寺弘司 小鯖 小鯖神止まり七福神舞 少年兵 少年剣道会 就職列車 屋号 屋島合戦 山の幸 山伏 山伏神楽 山内家 山内盛 山学校 山師 山林 山背 山菜 山菜採り 岩戸開き 川魚 巡礼おつる 巡視員 工業団地 巨人、大鵬、卵焼き 巨釜半造 差網 市町村合併 布刀玉尊 幌羽山 幣価切り下げ 幣束 干しアワビ 干し柿 干し芋 干し蛸 平成の大合併 平成の森 平成の森仮設 平泉中尊寺金色堂 平磯 平磯虎舞 広瀬高校 広葉樹 庄内市 庄内町 庄屋 床屋 座敷まわり 延縄 建前 廻館 弁当 弁慶 弁慶に刺す 弟家督 弥惣峠 弥惣峠~入谷ルート 彌勒寺 後藤寿庵 御天王山 御天皇山 御崎さん 御崎神社 御幣束 御神入れ 御薬師 御開帳 復旧 復興 復興への想い 復興市 復興庁 復興担当大臣 復興需要 徳恵 徳陽シティ銀行 徴兵 徴兵検査 徴用工 徴用船 德陽無尽 德陽銀行 志津川 志津川の大火 志津川の蛸 志津川中学校 志津川会 志津川実科女子高等学校 志津川実科高等女学校 志津川小学校 志津川湾 志津川町 志津川病院 志津川駅 志津川高校 志津川高等学校 愛宕神社 慈恵園 慶長地震津波 慶長地震津波伝承地 戦中 戦争 戦後 戦後の給料取り 戦後の食糧難 戦時下 戦時中 戦時徴用 戦死 戸倉 戸倉村 戸倉村尋常小学校 手仕事 手力男尊 手漕ぎ船 指物大工 振興会 振興無尽会社 振興相互銀行 振袖 挺身隊 捕虜 捕鯨船 揚縄 支倉常長 支援物資 支那事変 放射能 救援物資 敗戦 教員 教科書 教育勅語 文化財 斗組 料理 新井田館跡 新井田館跡発掘作業 新制中学校 新田次郎 日中戦争 日掛け金 日本よい国、東の空に 日本人学校 日本武道館元館長 日本語講座 日本陸軍 日本青年団連絡協議会 日給 日銭 日門 日露戦争 旧仙台藩 早生八幡 昆布 昆布の開口 明治29年三陸津波 春の大祭 昭和8年三陸津波 暖飯器 暴れ神輿 曲尺 月俸 月夜 月給 望小山 朝塩釜神社 朝日館 木の実 木価 木地蔵 木挽き 木材 木炭 木炭組合 木馬 末期の水 本吉 本吉地区冷害基金 本吉町 本吉町国際交流協会 本吉町連絡協議会 本吉響高校 本吉響高等学校 材木 村葬 条桑育 東京・四谷区 東京人絹 東京第一陸軍造兵廠仙台製造所 東北の長崎 東北博覧会 東北大学災害科学国際研究所 東北大学災害科学研究所 東北最大のフリーマーケット 東北本線 東北歴史資料館 東和林業組合 東和町 東和鱒渕 東日本鉄道文化財団 東稜高校 松原 松原そうじ 松圃 松島 松林 松根油 松笠 松茸 林業 柳州 栄養失調 栗原郡 桂林 桃山時代 桃生 桑の実 桑畑 梅ッコ 梅干 梅干し 梶賀千鶴子 棒受け網 森口多里 森林組合 検閲 樋の口大家 横座(上座) 横須賀 横須賀海軍 横須賀海軍カレー 機関員 機関士 檀家 歌津 歌津・志津川合併 歌津中学校 歌津会 歌津十二人衆 歌津寄木ささよ整備事業 歌津敵討 歌津村葬 歌津町 歌津町史 歌津町小学生ミュージカル 歌津町議会 歌津町長 歌津町青年団 歌津駅 歌津魚竜化石 歌生 正月 正月料理 正月飾り 歩兵第四連隊 死に装束 死人もの 母屋づくり 氏子 氏子総代 氏神 民族歌舞団ほうねん座 民話 気仙パン 気仙大工 気仙沼 気仙沼ジャスコ 気仙沼市 気仙沼市教育委員会 気仙沼市立病院 気仙沼湾 気仙沼線 気仙沼西高校 気仙沼高等学校 水夫 水害 水戸辺川 水戸辺川上流 水戸辺川上流津波最終到達点 水産業 水産特区 水産高校 水産高校実習船 水田 水眼 水遁の術 水道 決死隊 沢庵 河童 沼エビ 沼深 沿岸漁業 泊崎荘 泊浜 法印神楽 波来の碑 泣く子も黙る原兵団 注連縄 津山杉 津波 津波をかぶった杉 津波伝承 津谷中学校 津谷川 津谷高校 浄瑠璃 浅縄 浜の神楽 浜・町・在 浜松の織物工場 浦賀 海上保安庁 海南島 海員学校 海水浴場 海洋実習 海洋観測 海苔 海苔漁 海苔簀 海苔網 海苔養殖 海藻 海鵜 消防団 深縄 清水寺 清水浜 渋柿 温泉 満州 満州の花嫁募集 満洲の温泉 満海山 満蒙開拓団 満鉄 満鉄工務区 源氏 源義家 源義経 源頼光 源頼朝 漁労長 漁協 漁師 漁業 漁業協同組合 漁業権 漁業者 漁民 漁船 演芸会 漬物 潜り漁 潜水器操業 潜水士 潜水漁 瀋陽 瀬峰小学校 火の用心 火まわり 火事 火災 火葬 灰干しワカメ 炭炬燵 炭焼き 炭窯 無尽 焼津 煮もの 煮物 熊ヶ根橋 熊岳城 熊岳城ホテル 熊谷流の踊り 燻製 爆弾 牛殺し沢 牛肉 牡蠣 牡蠣剥き 牡蠣殻処理場 牧之内城 牧野駿 物々交換 特区 狩猟 献膳 献膳係 献膳長 獅子舞 獅子頭 玉の井 玉子柿 玉音放送 理容師法改正 瓦屋 瓦工場 瓦礫 生態系 生活相談員 生涯教育課 生糸 田の字造り 田の浦 田んぼ 田中則和 田束の夜明け 田束山 田植え 田老町 町切 畜産 畜産農家 疎開 疎開工場 登米 登米市 登米郡南方町 登米高女 白山様 白山神社 白無垢 白砂青松 白菜 白装束 白馬童子 百貨店 皿貝化石 皿貝化石群 直売所 相互銀行 真言宗 矢車 石巻 石巻北高校 石巻港 石浜 石浜神楽 砂湯 砂糖 硫黄島 磯漁 社寺建築 祇園神社 祝い事 祝儀 神棚 神楽 神様参り 神社 神社本庁 神輿 神飾り 祭り 祭典 祭典日 福島丸 福島原発 秋の大祭 種はさみ 稲作 稲八幡 稲刈り 稲荷寿司 空襲 空襲警報 立川町 立棺 竹スキー 竹川原 竹槍 竹馬 竹駒神社 第三次補正 第二地方銀行 第二次世界大戦 筍の皮 算盤 管の浜 築館 米作り 米俵 米川 米川の教会 米川小学校 米川村 米川狼河原綱木の沢 米広 米穀通帳 米谷工業高校 米軍 粟餅 精米 納豆 納豆餅 紙のランドセル 素干しワカメ 素戔鳴尊 素潜り 紡績工場 細浦 細浦生活センター 終戦 終戦の日 終戦後 経塚 経塚遺跡 結いっこ 結する 結婚 結婚式 結納 給食 綏化 総代 総本 総本宮 総本山 編み物 縁起物 縄とび 縄跳び 縫製工場 缶詰工場 缶蹴り 羽織袴 羽黒山 老人会 老人保健施設 老人養護施設 肥料 脱脂粉乳 腸チフス 自動乾燥機 自給自足 自衛隊 興業銀行 舘崎の浜 舞根 舟沢 船名旗 船員 船大工 船子 船川丸 船舶免許 船酔い 船頭 艤装 艦砲射撃 色彩選別機 芯抜き 花火 芸能部 苗代半作 茄子 茱萸(ぐみ) 草もち 草履 草餅 荒島 荷鞍 菊の御紋 華南高校 華足寺 華足寺参道整備事業 華足寺大祭 華足寺大祭のお供え 華足寺大祭の演芸会 華足寺馬頭観音堂 落ち武者 葉タバコ 葛西四百年 葛西家 葫蘆島 葬儀 葬式 蒸気機関車 蕎麦 蕎麦粉 蕨野 薪ストーブ 藁穂沢 藁草履 藤の蔓 藤原征伐 藤原氏 藤原秀衡 虎舞 蛸の渦巻 蝦夷地 蝦夷狩 行商 行政区長 行方不明 衡陽 衣川 衣料切符 被災地 被災後 裁縫 裏杉・表杉 裏目 裏観音様 補充兵 補助金 製材所 製糸工場 製鉄 西戸 西條實 西條實短歌集 要谷 観世流 観音像 角田市 解体ショー 許家屯 誉田別命 語り部さん 請負耕作 豆もち 豆餅 豊前宇佐八幡宮 豊漁祈願 貞任山 買い物 赤崎 赤痢 赤紙 足湯 踏み絵 蹄鉄 軍人勅諭 軍人恩給 軍国の母 軍用犬 軍需工場 軍需物資 輪尺 輸出 農作業 農協 農地解放 農家 農家預金 農林業 農林水産大臣賞 農業 農業共済制度 農業共済組合 農業委員 農業改良試験場 農業災害補償法 農業研修 農民講道館 農閑期 迫川 追い馬 這坂 通り囃子 造兵廠 造幣局 造船 造船所 連絡協議会 進学 進駐軍 遊園地 運送事業 道中囃子 遠の木沢 遠洋漁業 遠藤美希 遺体 避難 避難所 避難生活 避難訓練 郵便局 郷土探検 郷土芸能 郷黒 配給 配給制度 酒井農寮 酒井馨 酒屋 酪農 野戦病院 野球 野菜 野菜研究会 金の卵 金峰寺 金華山 金鉱 金靴屋 釜神様 針葉樹 釣り 鉄嶺 鉄砲 鉄砲風呂 銀鮭 銀鮭養殖 鍋焼き 鍬頭 長の森寺 長沙 長沼 開口 開戦の詔 間伐 関東軍咸陽 防波堤 防潮堤 防災庁舎 防災無線 防犯実動隊 防空壕 阿部井組 陣取り 除草機 陸中海岸 陸前原町駅 階上 隠れキリシタン 雁月 雄飛小学校 集団就職 集団移転 雑煮 電報 電話 震源地 霞ヶ浦 青大将 青年の家 青年の船 青年会 青年体育大会 青年団 青年団長 青年学校 青年文化祭 青年部 青森丸 青空工場 青色申告会 鞍薦 響高校 須賀神社 頼光寺 頼母子講 風呂 食べ物 食事 食糧難 飯土井 飯綱神社 飴餅 餅まき 養殖 養殖ワカメ 養蚕 養蚕の神様 館城 館崎 香林寺 馬っこ 馬の足 馬喰 馬捨て場 馬橇 馬糞拾い 馬車 馬追 馬鍬 馬頭観音 高台 高台移転 高射砲 高島田 高度成長 高度経済成長 高砂や 高等小学校 高野会館 髪結い 魚屋 魚竜 魚竜化石 魚竜太鼓 魚竜舞 魚竜館 魚艙 魚釣り 鮎釣り 鮪立 鱒淵 鱒淵の5さん 鱒淵の5ちゃん 鱒淵小学校 鱒淵源氏ホタル保存会 鱒渕野球クラブ 鳥越沢 鳴子中山ラドン温泉 鳴子温泉 鴇波神楽 鹿折 麦ごはん 黄金郷 黒毛和牛 黒豆 黒部の太陽 鼎が浦高等学校