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田んぼ

農業は、田んぼといっても、この辺はご覧のように傾斜地の山間地だから、「棚田」なんてあるけれど、ああいう大規模な棚田なんていうのは、ここでは無理です。田んぼをやるには、水がいるでしょう? だから、沢ざわ、水のあるところに田んぼを作った。水田を作れそうなところを耕したというわけです。この辺は、小規模なんです。自分で食べるくらいしかできないんです。耕地が少ないです。これは一般論ではなく、私の家の話ですよ。
この辺は本当に零細農家だから、100アールなんて耕地は稀です。今考えたら、よく生きていたというようなもんです。収穫量が少ないんだもの。田んぼは、水を引くでしょう? 沢にしか水がないんだから。灌漑用水なんて、昔は機械で水を汲み上げることができなかったから、水のある周りだけで田んぼをやっていたんです。米を売るぐらい採れる人は何人もいなかったんです。食って終わりです。畑には麦を作りました。米が少ないから麦も食べるんだ。麦ごはんにして食べたから、糖尿病の人が少なかったんです。今は糖尿病の人が多いよね(笑)。

ところが、今は米も安くなり、そうして肥料なんか、色々なものが高くなったから採算が合わなくなって、みな放棄してしまいましたね。今はね、田んぼも畑もほとんどね、耕作しない人が多いです。ウチももうやっていません。沢だから、山が伸びてくると日陰になってしまうから、木が伸びると何もできない。そういう条件の土地ですから。農業は10年くらい前まではやっていました。

「細浦の海と山と」田辺喜一郎さん(仮名)
[宮城県本吉郡南三陸町志津川細浦]大正11(1922)年生まれ

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農家の四季

3月になったら畑の仕事が始まります。麦のあとのかさを取ったりします。麦蒔くのは、9月から10月ですが、翌年の3月頃、雑草を取ったり、麦踏みしたり、手入れをしたんです。

麦踏みというのは、冬に土が凍って、春になると溶けて、根が浮き上がってるから、土をかぶせて足で踏むんです。麦の収穫は7月頃だね、お盆の前に収穫終わりますから。お米は5月頃に植えるんですね。4月頃に苗をみな、各家庭で作ってね。収穫は10月頃ですね。この辺りの冬は、稲の収穫が終わると翌年の3月頃まで畑が凍ったりするので、農業はお休みなんですね。

「煙草ふかして目を閉じりゃ」丸山敬一郎さん(仮名)
[宮城県本吉郡南三陸町歌津伊里前]昭和5(1930)年生まれ

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米作り・畑仕事

林業をしながら、米作り・畑仕事もしています。今朝もトラクターで耕してきました。トラクターでディープパープルやARBなどのロックを聴きながらね(笑)。今のトラクターにはエアコンもラジカセも付いています。ラジオはノイズが入るから聴こえないしね。
こういう家の仕事は、若い頃に手伝いで一通りやりました。田んぼの畦のクロ塗り(水田の水漏れを防ぐための作業)を、当時は機械なしで「よつこ」でやりましたよ。
今は96アールの田んぼで米を作っています。種籾は農協に注文して、ハウスで苗を約200箱作ります。種籾は、昔は塩水選(えんすいせん)で・・。比重計もあるんだけど、以前は、生卵を使い浮き沈みで比重を見ました。悪い種は浮くから、先人の知恵ですね。今は温湯(おんとう)消毒したものを持ってきてくれます。10アールに箱で約20枚分。しろかきや土入れは自分と家族でやっていますが、田植え時のような農繁期は、今も手伝いの人を頼んでいます。採りいれ後、収穫の60アール分は農協へ供出します。供出分は機械乾燥してもらいます。これが、翌年の農薬代や種籾代に充てられます。自宅で食べる保有米は自然乾燥しています。
学生の頃は他所でアルバイトをしたかったものですが、父が認めてくれないので、家の仕事をバイトとして小遣いをもらいました。自分が働いてもらったお金は、なかなか簡単に使えないもので思い入れのある品を買ったと思います。あこがれのブランドの洋服を買ったかなぁ・・。アルバイトといえば、昭和46・7年頃「クリスマス雪害」の時、雪の重みで木が全部曲がってしまったので、ジャッキを買い、ビニール紐で1本1本木を起こすのを手伝いました。
今も木を切ると、その当時のところが若干曲がっているのがわかるんですよ。

「森呼吸・・」山内孝樹さん
[宮城県本吉郡南三陸町歌津樋の口]昭和28(1953)年生まれ

農家の暮らし

あの頃は、畑に麦、いっぱい蒔いたんだよ。それで麦のあとに豆蒔いたから、畑が遊ぶ隙が少しもないんだよね。畑には、粟だの、きびだの、そんなのも蒔いたんだけど、干して、そいで粉にするまで、手がかかるから好きでなかったんだよね。
米は、昔はこんなに米とれなかったんだよね。肥料もそんなにしなかったし。今は米がいっぱい穫れっから、このように避難しても米あるもの。
今では、麦をひとつも蒔かないのよね。味噌もうちで作らないから、そんなに豆も蒔かないし。ゆで豆するのに、青豆で食べるだけ蒔くのね。今考えてみると、あの頃は、どこの家でも、畑っつう畑に麦蒔いて、その後に豆蒔いて、本当に少しも畑の遊ぶ隙ないの。そんで機械ないから、みんな鍬(くわ)を使って手でやったの。うちには馬は無かったの。まわりにそんなに農家がなかったし、田んぼもなかったから。

「福の神」小野寺ちよしさん
[宮城県気仙沼市本吉郡]大正13(1924)年生まれ

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半農半漁

歌津では半農半漁の家が多く、商店は少ないですね。とくに最近は、郊外に大型スーパーなどができたため商店街は苦労したことと思います。この先も、伊里前に新しい商店街ができることはないと思います。漁師よりは農家の方が多く、だいたい6、7割は農家だと思います。お互い、もめ事もなく仲良く付き合っていますよ。

ちなみに、昭和30(1955)年以降は、国が予算を出して全国的に麦作りを推奨しました。このあたりの畑は、みんなハマの方、海岸寄りにあります。山の方は“タカ”、海の方は“ハマ”って言うんです。畑を区画整理して、トラクターの購入にも補助金が出ました。当時は、漁業が上手くいっていなかったので、みんな政府の補助金事業に乗って、畑を大きくし、機械を買って麦を作ったんです。しかしその後、麦の値段が安くなって、畑では食べられなくなりました。そこで、再び海に戻りましょうと、ワカメの養殖やホタテ漁をやるようになったんです。漁業で、収入が得られるようになると、畑はどんどん荒れてしまいました。

「結う人」牧野駿さん
[宮城県本吉郡南三陸町歌津伊里前]昭和13(1938)年生まれ

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家族全員で仕事

ウチは、畑も海も家族全員でやります。母のお店のお休みは月曜日、父の仕事の休みは日曜日だったから、みんな一緒のお休みがないでしょう? だから、朝5時に起きて7時まで畑をして、それから朝食を食べて両親は仕事、私たちは学校へ行って・・・。
とにかく家族みんなでやるんです。1年365日で家族全員お休みというのは元旦だけ。元旦だから、そんなに寝坊もできないんだよね。私たちは、そうやって手伝うというのが当たり前で育ちました。農作業も漁も、家族全員でやるもんだと思っていました。

「ひまわりのように」幸田笑美さん(仮名)
[宮城県気仙沼市本吉町]昭和36(1961)年生まれ

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昆布の開口

ウチは両親が結婚する時に船を持って組合員になって、漁業権も持っていたので、夏はウニ獲り、11月はアワビ獲り。畑もあったので、大根とか白菜とか、そういう物を食べて、おかずって特別に考えたことはないですね。
私が小さい頃、昆布の開口と言うのもあって、その日は赤崎海岸に親が船で昆布を持ってくると、それを私と妹で伸ばして干して、夕方になったら全部まとめて家に持ってきて、そのままだと乾いてガリガリになっているから、少ししとらせて(湿らせて)長さを揃えて切り分けて、業者に買ってもらいました。
芝から出てきてからは自力で生活していくしかなかったから、ワカメでも昆布でも、現金になるものは私たち子どもも手伝ってやりました。

「ひまわりのように」幸田笑美さん(仮名)
[宮城県気仙沼市本吉町]昭和36(1961)年生まれ

戦後の農家

戦争が終わってからは、家に帰って農業をしました。
周りはみんな農家で、いっぱい畑があって、人手がない。昼間も働いて、月夜の時は月の明かりで働いたんだ。月の明かりだけでやったの。私だけでなく、みんながそうでした。
それに、今こそ、機械でやるけっども、昔は耕運機なんてながったから、手だけで作業したの。
この辺は火山灰みたいなとこでないから、柔(やわ)い土やサラサラの土でなくて、粘土ども違って、固いし砂利だし、崩れやすいような土ではないんです。機械なら1時間や2時間すれば終わるのを、幾らも耕せないわけ。だから、ほんとうに重労働だからね。

「謡い舞う、神々の見守る浜で」佐藤良美さん
[宮城県本吉郡南三陸町志津川]昭和2(1927)年生まれ

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尋常小学校から青年学校へ

唐桑尋常小学校では、1クラス40人くらいいましたね。3年生までは男女一緒で、4年生からは裁縫が出たわけ。そのために男女に分かれて授業を受けました。男は裁縫の時間は勉強です。
お裁縫はそのころから好きでした。でも、みなさんがね、「学校さ、やばい(行きましょう)」って誘いに来ると、たまに父が、「今日は田の草取りだから、今日学校ダメだぞ」って。こう言われると、(はぁ、田んぼだの畑だの無い家に生まれたかった)と思ったの。田の草取りは除草機を使ってね、母と姉と私と父と4人でやって。自分では当たり前のことだ、と思い、不思議ではなかったですが、畑も、いっぱいあったからずいぶん働かされました。だからお裁縫が出来る日は、みんなとお話してね。楽しいでしたね。フフ。赤ちゃんの肌着とかそういうのを縫うんです。

中井小学校(分校)には6年生まで通って、天長節とか明治節とか行事の時だけは、唐桑(尋常小学校)に来ていました。高等1年からは唐桑でみんな一緒に勉強しました。
すん~ごく、きかない先生が居てねえ。若い男の先生で、誰かちょっとでも悪いことをするとね、雪の中、みんな足袋を脱がされて、小学校から海岸まで、裸足で走らせられたのね。思い出すね。厳しい先生だったけど、その先生から教わったことは頭に入ってるね。すんごい、おっかない先生だった。クラスの中で1人でもなんかやったもんなら、もう、長くて青い鞭で、バンバン、バンバン叩かれたもんだ。その先生はおっかなかったけど、やっぱり教わったことは覚えててね。不思議なもんですよね。

尋常小学校のあとは15歳で尋常高等小学校2年卒業でしょう。そのあと、青年学校っていうのに入ったんです。高校に行かない人たちだけの学校を青年学校ってね。高校にいく方は優秀な方がまず行ったわけですよね。
青年学校のころはね、たとえば隣では働き手のお父さんが兵隊にいっていない、だが畑はいっぱいある、そういうときはその青年学校の人たちが麦刈りでも、畑つくりでも手伝いに行ったの。増産隊って言ってね。青年学校にも男の生徒は居ないの。
石浜ってとこさね、2人暮らしで、お父さんが兵隊にいって、お母さんが1人で留守番で、畑がいっぱいあると、「今日15人、人手が欲しいんだって」と言われれば、15人で鍬持って行って、並んで、でっかいでっかい畑に入って、そして一斉に働いたもんだ。若い者、なんぼでも働けたのさ。うん。そしておやつをごちそうになるのが嬉しくてねえ(笑)。今ならダイエットとかって食べないで痩せる方法がやってるね、ああ、こんなでっかい「おはぎ」なんか出たもんなら、喜んでごちそうになって、働いて来た。そうやって仕事を割り振りして働きに行ったの。

希望して工場に働きに行った人もいました。私もね、周りでみんなお友だちが行くから、「私も行きたい」って言ったの、親に。そしたら親が言うには、「お前はとっても寝相が悪くて、他のあんちゃんたちに笑われるから出されねえ」って(笑)。やっぱりひとり女が1人だから出したくなかったんでしょうが、そんなこと言われたって(笑)。あんたがたは笑ってけらい(笑ってくださいよ)。アハハハ。
うちの両親が、かなり心配して、こう言ってたのを聞いたの。「男がみんな兵隊に行って戦死して、たったひとりの娘さ、夫を持たせられねえんでねえかな」って。それで私は、「はあ、早く嫁に行かせたいのかなあ」と思ったった。とにかく、戦死したんだもの、男っていう男はね。体の弱い人だけ残って、全部兵隊にとられて、兵隊に行く年齢よりちょっと若い人は軍需工場に取られたんです。男は誰もいないんだもの。だから、親としてはそう思ったんでねえかね。

青年学校は部落部落にあるわけね。畑をいっぱい持ってる家から30坪くらい借りてね、農業の先生をお呼びして、農業を教えられた。私たちは唐桑中学校の下のほうの畑をお借りしてそこにみんな集まったの。1週間に1回とか、そんな毎日でもないので、仕事って言えば家の仕事を主にさせられたのね。例えば春は草むしりとか、サツマイモ植えるとか、麦踏みとか、5月6月は農繁期で学校を休ませられるんだもの。農繁期って丘の方では田植え。こっちの方では麦刈りをするんです。

「新屋のみっちゃん、昔がたり」丘 美津江さん(仮名)
[宮城県気仙沼市唐桑]大正15(1925)年生まれ

半農半漁

父はいわゆる半農半漁で、小漁(こりょう)でした。だいたい私の生まれた所はね、小漁が専門でね。私たちの孫の代くらいからかな、おっきな船にのったのは。そのころは船も機械ではなかったから、ちっちゃい手漕ぎ船で漁に出ていました。獲りがきの(獲ったばかりの)魚を食べて育ったのね。そのころは、小漁をするどこの家でも、大きい魚とか、大きいアワビはね、漁協に売りに出して、売れないようなちっちゃいのを家で食べたの。10人全員でご飯を食べる時も、自分の分の骨は「あんたはちっちゃいから」なんていって取ってはもらえないの。みんな同じように自分で食べるんです。そして私も一生懸命、もくもく食べたんじゃない?(笑) だから今でも骨取って食べる小魚が大好きなの。

お米は家では半年買わなくても良いくらい、自分の家の田んぼから収穫していました。自分の家で食べるための田んぼもあれば、畑もありました。そのころはみんなそんなでした。
兄は学校が終わる(卒業する)までは小漁をしてたんだが、あと、学校終わってからは遠洋漁業に出てね。マグロとか、カツオ船とか。家を離れているのは、昔はそんなに長くなくて、3カ月とかね。あんまり遠くに行く漁船には乗んないで、まず、普通に手伝ったりしてね。兄は家督を残して結婚したら家を出たので、1人抜け、2人抜けってだんだん家にいる人数は少なくなって行って。

2番目の兄は婿養子に行ってね、子どもが2人あったの。それがね、宮城県の主導する宮城丸(水産学校の教育用の船)に普通の船員として乗って行ってね、戦死したの。米軍の魚雷が当たって、「轟沈」でした。5分以内に沈めば「轟沈」っていうんだってね。昭和19(1944)年の話です。いま、自分が結婚して、婿養子に行った先の義姉が30代で未亡人になったが、かわいそうだったなと思ったね。それで、義姉のところに、着る物とかなんとか、いろんなものを送ったのを覚えてるね。
ただ、その頃は夫が死んでも、田があり、畑があり、自分の家で食べるくらいは働けるわけね。それから漁業に出て魚を獲ってきて売るとかね、食べることにはそれほど事欠かないし、ぜんぜん財産がなければ、いっぱいある家に手伝いに行くとか、そうして暮らしたんです。兄の子どもが、今では「おばさん1人だ」っていうわけでね、ホタテ養殖をやってるから、私のところにホタテを持って来てくれたり、いろんなものを持って、この急な坂を上がってきます。巡り巡ってねえ。

「新屋のみっちゃん、昔がたり」丘 美津江さん(仮名)
[宮城県気仙沼市唐桑]大正15(1925)年生まれ

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