歌津の吉野沢に当時、楠原・三浦という2つの瓦工場(こうば)があったんですね。そこに1日百円で働き始めました。12月に佐沼から帰ってきてすぐでした。
その当時日給百円は、まあ、普通だったんじゃないですかね。弁当持ってね。働くことで、夜は定時制高校に通うことができたんですよ。そこは親しい友だちなんか行ってたもんで、つないでもらったんですね。当時は仕事をさがすのでも、職業安定所なんていうのもなかったような気がします。人を通して仕事に行ったような記憶がありますね。
工場には家から、学校の隣のね、バラックみたいなとこから通いましたね(笑)。1年くらい勤めたかなあ。昭和25~6年頃のことです。
「わたしを育てた町、歌津。」村上幸男さん[宮城県南三陸町歌津伊里前]昭和9(1934)年生まれ
投稿日:2012.01.03
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