5年後にやっと奉公先から戻ってくると、裁縫の習い事をしました。戦時中のことで、ちょうどそのころ、学校の制度がうんと変わったんだよね。「国民学校」と言ってたのが、「青年学校」になったのかな?(職業に従事する、勤労青少年男女に対する教育機関。「専修科」には修業年限がなかった。終戦まで存在した)
小学校は6年とか、年数が決まっているけど、そこは、何年通ってもいいの。裁縫を教えられる先生がいて、それまでミシンを使ったことがなかったけれど、学校にたった1台あるミシンを使わせてもらいに通って一所懸命習いました。みんなが学校に行かない休みの日も弁当持って、ミシン使いに通ったんです。ミシンの糸が絡まってしまうと、ミシンを分解(ばら)して修理しなければいけなかったのね。そうして直してもらってねぇ。一生懸命、やりました。
「福の神」小野寺ちよしさん
[宮城県気仙沼市本吉郡]大正13(1924)年生まれ
投稿日:2012.01.01
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