鱒渕にはの青年団っていうのがあって、当時はそういう団体が各町内会にいっぱいあったんです。学校を卒業して社会人になると、青年団に入るのが普通だったから。もちろん入ってない人もいたけれど。8割がた入っていましたね。女の人もそうです。
青年団が何をするかというと、年に1回、演劇やコーラスの文化発表会のようなことをしたり、他の地域と対抗で体育大会、あるいは地元の敬老会を主催したり、盆踊りを企画して行ったりするんです。いろんな活動をやっていたんで、ほとんど夜は家にいたことがなかったですね。家にまともにいるのって月に1回くらいしかなかったんです。家帰って、毎晩青年団の活動に「いってきます」って出て行って、集まっていろいろ話をしたり、企画をしたり、ああでもない、こうでもないって話し合ってました。青年団は早い話サークルですね。給料なんてありません。
敬老会とかそういうのがあれば出し物の「またたび舞踊」、「演歌舞踊」を練習したり・・・またたび舞踊というのは、早い話が水戸黄門みたいな格好をするんですよ。氷川きよしの箱根八里の半次郎みたいなもの。年齢が30ぐらいになると、だいたい引退の時期でした。今は青年団はいまは盛んではないですね。
青年団でも会長をやらされて、東和町の中にも6つか7つくらい各地区にあって、それを統合する連絡協議会の組織もあったんですが、そこの会長もやったんですよ。どうしても黙ってられなくて発言してしまうのでやらされるんですね。
源敏一の「真っ向勝負!」源敏一さん[登米]昭和30(1955)年生まれ
投稿日:2012.01.01
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