家は金はなかったけれど、借金もありませんでした。昔はそんなにお金はいらなかったんです。食べ物が手に入りさえすれば、あとはとにかく、薪があれば正月が越せたんです。薪は山から採って来る、米は作ってる、野菜も作ってる、おかずは海で獲れる。電気料はその頃もあったけど、プロパンガスでなく、かまどもお風呂も薪でした。
そのころのお風呂は、鉄砲風呂でした。水だって、井戸から汲んで沸かすから一仕事なんですよ。入り終わると今度は、風呂桶を乾かすわけです。乾かすのに横にして、また風呂を沸かすときに立てる。だから、「風呂を立てる」って昔は言うわけなんです。風呂を今晩立てろ、っていうのは風呂は横にして乾かしてるから、それから来ているんでしょう。
昔はお風呂は、3軒の家で1軒あるかないかでしたから、当時は「もらい風呂」って言う風習がありました。「隣の父ちゃん、今晩風呂もらいにくるから」などという会話があったんです、あの時代は。
「あした、泣く」三浦清人さん
[宮城県本吉郡南三陸町歌津]昭和29(1954)年生まれ
投稿日:2012.01.01
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