中学校を卒業してすぐ、山仕事に就きました。親類の小野寺一郎右衛門さんという人が山の巡視員をやっていた関係で、仕事をしたのです。日当180円でした。山で働くには自転車が必要でしたがお金もなくて困っていたところ、佐藤高志さんという方にノーパンクタイヤの古い自転車を2000円で譲ってもらいました。ところがそのタイヤのせいで、平らな所はさーっと走るのですが、その頃は砂利道なので重くて、ほかの仕事仲間についていけないで、大変でした。山では杉の木の下刈りのような仕事をしていました。そうして働きながら、通信教育で東京文化高等学校で高校卒の資格を取りました。
少しでも多く父の助けをしたいと思っていたある日、役場に行ったときに静岡の興津でミカン狩りの募集をしていたので、応募したのです。3食食べさせてくれて、1カ月6000円くれるという触れ込みでした。そうすると1日200円の稼ぎです。資格は18歳以上で、私はまだ17歳でした。けれど、私が先頭に立って、地域の他の人と一緒に応募して、採用通知をもらいました。家族には「こういうわけで、ミカンが腹いっぱい食べられる静岡に行く」と告げ、お餞別をもらってバス乗り場から見送られて出稼ぎに行ったのです。ミカン狩りは季節的に冬のもので、出稼ぎは10月~12月の農閑期ですから、仙台に100人以上の人が集まり、10時間以上かけて上野まで行き、そこから静岡や浜松、そして興津に分散していきました。
「遠き桃源郷~少年の見た満州引揚げの悲劇~」小野寺幹男さん
[宮城県登米市東和町米川綱木]昭和20(1945)年生まれ
投稿日:2012.01.07
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