あの頃は、畑に麦、いっぱい蒔いたんだよ。それで麦のあとに豆蒔いたから、畑が遊ぶ隙が少しもないんだよね。畑には、粟だの、きびだの、そんなのも蒔いたんだけど、干して、そいで粉にするまで、手がかかるから好きでなかったんだよね。
米は、昔はこんなに米とれなかったんだよね。肥料もそんなにしなかったし。今は米がいっぱい穫れっから、このように避難しても米あるもの。
今では、麦をひとつも蒔かないのよね。味噌もうちで作らないから、そんなに豆も蒔かないし。ゆで豆するのに、青豆で食べるだけ蒔くのね。今考えてみると、あの頃は、どこの家でも、畑っつう畑に麦蒔いて、その後に豆蒔いて、本当に少しも畑の遊ぶ隙ないの。そんで機械ないから、みんな鍬(くわ)を使って手でやったの。うちには馬は無かったの。まわりにそんなに農家がなかったし、田んぼもなかったから。
「福の神」小野寺ちよしさん
[宮城県気仙沼市本吉郡]大正13(1924)年生まれ
投稿日:2012.01.01
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