春になると「日本に帰るから広場に集まれ」と言われてまたみんな集合しました。
みんな骨と皮ばかりに痩せこけて、途中で脱落していった方々もありました。旦那さんを亡くして、好き好んでではなく、生きるためにやむを得ず満州人と結婚した女性たちもいました。その方たちがどうなったかはわかりません。
そして再び貨車に乗せられ、南へ南へと走りました。今度は朝鮮寄りの葫蘆島(ころとう)というところに着きました。そこから船に乗せられるときは「ああ、やっと日本に帰るんだな、今度こそ日本に帰るんだな」と本当に嬉しかった。
その船は「宵月(よいづき)」という駆逐艦で、造船して一度も戦争に使われないまま終戦になってしまったという船だったと、乗組員の方に聞きました。もとが駆逐艦ですから、42ノットくらいのスピードが出て、客船を追い越して気持ち良い速さで波を蹴っていくのです。そして船は舞鶴に立ち寄りながら、2日かけて博多までやってきました。
「遠き桃源郷~少年の見た満州引揚げの悲劇~」小野寺幹男さん
[宮城県登米市東和町米川綱木]昭和20(1945)年生まれ
投稿日:2012.01.07
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