その頃はお米が無いでしょ? こっちではお米が無い。あっちは米処だからお米はある。だから、お魚とお米を物々交換です。
ところが当時はお米を持っているのがお巡りさんに見つかると捕まったんです。帰り道でお巡りさんに会うと困るから、あそこにお巡りさんがいたというのがわかると、魚箱と自転車を隠して自分たちも隠れて、お巡りさんがいなくなってから帰って来るんです。遅い時は、帰りが夜中の1時だ2時だということもありました。それでも、お米を欲しい人たちがお父ちゃんの帰りを待っていましたね。そんなわけで、私たちは、お米は食べさせてもらえました。
「埴生の宿 Home, Sweet Home」幸田理子さん(仮名)
[宮城県気仙沼市本吉町]昭和12(1937)年生まれ
投稿日:2012.01.01
カテゴリー:キーワード.
© 2012 東日本大震災 RQ聞き書きプロジェクト 「自分史」公開サイト. All Rights Reserved.