この頃はまだ東北本線は蒸気の汽車が走っていました。私は昭和40(1965)年頃、各駅停車に乗って上京したんだけど、そのころ蒸気でしたよ。夏なんか上野から乗ってきて暑いな、って窓をあけたら、風がまともに来て、炭のカスが頭から飛んでくる。洗わなきゃ泥んこになるんだね(笑)。仙台から12時間くらい掛かるんですが、夜発って朝着くように各駅停車でいくんですよ。急行でなく。ここから仙台まで、その頃は気仙沼線がなく、気仙沼から仙台までバスが通ってたんで、4時間かけて、バスで行ったんです。道路はボコボコでした(笑)。
バスがその頃の一番の交通手段だったから、歌津の集落から外に出る時は、ほとんどバスでした。仙台の方に行くバスは午前中の2本だけで、夕方にも2本ありました。だいたいこの辺に夕方5時に着くような便でした。
「煙草ふかして目を閉じりゃ」丸山敬一郎さん(仮名)
[宮城県本吉郡南三陸町歌津伊里前]昭和5(1930)年生まれ
投稿日:2012.01.01
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