ここではね、津波で流されたっていうのは、明治の末あたりで。だけんど、ほとんど家流されたという被害はないのね。昭和の津波なんかもちろん、私たち昭和8(1933)年の津波は実際に見てっけっども、ほとんど、家流されたっていうのはここ少ないんだべ。
ただ、明治の津波とは、もとの私の家の、あのくさや(草葺きの家)の家で、玄関はいって、土間になってる中を、波が来て大きな石がごろごろ行ったり。それでも家は流されねえで。被害はほとんど無いんだけっども、歴史的には、先祖が昔からここに住んでいた「元屋敷(もとやしき)」がこんな海岸にあった、とかという話はあるね。ここ寄木は昔から、家の戸数は増えなかったけんども、天然の漁港としては歌津町としては昔から一番良い。
そのために、こういう「ささよ」も残っているんだと思うんだ。漁師としては、他の部落より、みな秀でた漁師たちが多かった。それが、こういうので伝わったんでないかと私なりには感じてんだけどもね。
「波静か ~われは海の子~」畠山吉雄さん[宮城県南三陸町歌津寄木]昭和2(1927)年生まれ
投稿日:2013.01.07
カテゴリー:キーワード.
© 2013 東日本大震災 RQ聞き書きプロジェクト 「自分史」公開サイト. All Rights Reserved.