結婚した人は漁師だね。支那事変(日中戦争の勃発)があって、昭和12(1937)年から戦争が始まったの。その頃は召集令状なんて、そんなに来なかったのね。昭和18~19(1943~4)年の頃は、男の人はみな召集令で戦争に行ったんだよね。私が昭和18(1943)年の春に嫁に行ってからすぐだけど、おじいさん(ご主人)も招集されて中国に渡りました。
おじいさん(ご主人)とはお見合いも、どうもこうもないの。結婚が決まった時には、どんな人だかもわかんないの。この人は船に乗って沖に行って、いなかったんたんだな。結婚が決まってから、結婚式まで、相手に会ったことなかったの。本当だよ、あんたたち笑うけど。親が決めんだもの。そんで、「いらね(いやだ)」って言ったらば怒られるしさ(笑)。親は怖いし、「どこさ出やれ(どこかへ出て行け)」と言われても行くとこもないし(笑)。
結婚式で会った時にはどうもこうも思わないね。前から顔だけは知ってたの。家が遠くでないからね。その前にちょっとは見かけたことはあったけど。話はしたことないよ。話は全然しないよ(爆笑)。好きも嫌いもなんとも思わない。仕方ないからねぇ。年が10も違ったのよ。だからさ、時代だのなんだのも違うしさ、合わないの。そんなに違うのを知らないで、嫁に行ったのよ。結婚前は相手が若く見えたんだ。あれ、そんなに違うなんてわかんねかったんだね。
結婚式は、着物で、つのかくしもして、支度はみんな家でやったの。黒い紋つきの着物でね、その頃は記念写真も何もないの。
「福の神」小野寺ちよしさん
[宮城県気仙沼市本吉郡]大正13(1924)年生まれ
投稿日:2012.01.01
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