歌津と志津川との合併は対等合併で進めようということで、合併協議会の会長に志津川の町長、副会長は私という体制で進めました。
平成17(2005)年10月1日、歌津と志津川は正式に合併して南三陸町が誕生し、私は、その前の月、9月21日に平成の森で記者会見を行いました。歌津町の最後の大きな行事となった老人クラブの大会も無事終わり、町の行事がすべて終わったのを見計らって行ったのです。そこで私は、「南三陸町町長選挙には出馬しません」、そして「町長選に誰が出馬しても、応援は一切いたしません」と宣言をしました。そして、「新しい南三陸町町長には、ひとつお願いがあります。海や山を活かした、第一次産業を中心とした町づくりをしていただきたい」と申し上げたんです。歌津も志津川も海で生きる町だからです。
町長を辞任した10月1日の次の日から、次の町長が決まる11月4日まで、私は職務代行を務め、職場を去る最後の日、11日に志津川の役場に職員全員を集めてお別れの挨拶を行いました。「私は今日で南三陸町役場を去りますが、皆さんにお願いがあります。南三陸町は職員の皆さんがつくる町ではなく、住民の皆さんがつくる町です。だから職員の皆さんが現場に出て町民の声を聞きながら、町民がどのような町をつくりたいのか聞きながら、新しい町をつくってください」と最後のお願いをし、完全に行政から手を引いたわけです。
「結う人」牧野駿さん
[宮城県本吉郡南三陸町歌津伊里前]昭和13(1938)年生まれ
投稿日:2012.01.01
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