その頃、公務員の給与は安くて人気がなく、役場には誰も入らない状況でした。しかし、昭和40年代から高度成長期を背景に、公務員の給料がどんどん上がっていくようになりました。
役場に勤務してまず担当したのが、教育委員会での社会教育の仕事でした。青少年の育成、成人教育、公務員活動、海外交流などを行うのです。青少年の育成というのは子供会や、ジュニアリーダー(中学生・高校生)の育成のことです。町で最初のジュニアリーダーサークルを作り、指導していました。
これはボランティア団体が主催する子供キャンプなどでも言えることですが、青少年、小学生の育成をするためには、世代のギャップがある大人たちがやるよりも、ジュニアリーダーがやったほうがいいと思いますね。子供には子供たちの世界があるので、(大人は一歩引いたところにいて)子供は子供を中心にしたほうが効果があると思います。活動や指導をする世代間は近いほうがいいのではないでしょうか。
「吾道一以貫之〜道拓く〜」小野寺寛一さん[登米]昭和17(1942)年生まれ
投稿日:2012.01.01
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