父は明治19(1886)年に私同様、鱒淵に生まれましたが、16~7歳で三井物産に入社し、カナダに渡りました。
というのも、三井物産は宮城県の地場産業として栄えていた養蚕で、カナダと生糸の取引をしていたからです。カナダでの父は、ドイツ人の家庭に下宿し、夜学に通いながら昼間は働くという生活をして、英語、ドイツ語を身に着け、さらにフランス語など5カ国語を話せるようになったといいます。父はカナダと日本の二重国籍を持っていました。カナダで洗礼を受け、洗礼名カルロフというクリスチャンになっていたのですが、その父の形見はロザリオです。米川の教会の復興に尽力した小林司教から昭和30年頃に戴いたもので、それも今は私の手もとにあり大切にしています。
鱒淵に響く「わだつみのこえ」岩渕謹一さん
[宮城県登米市東和町米川鱒淵]大正8(1919)年生まれ
投稿日:2012.01.08
カテゴリー:キーワード.
カナダ, 三井物産, 地場産業, 小林司教, 生糸, 登米市, 米川の教会, 養蚕
© 2012 東日本大震災 RQ聞き書きプロジェクト 「自分史」公開サイト. All Rights Reserved.