私も海に獲りに行ったんですよ。小学3年生ぐらいのときには素潜りをして、冬場には、夕方潮が下がりますから、みんなで焚き火して。焚き火の大きなかまどを作った上に石をドンと置いてあっためて、そこにマツモを乗っけて食べたんです。マツモの黄色い色が青々として。物が少なくて、煮て食べる鍋なんかないものですからね。それが鍋代わりだったんだね。
海に行かない時は、山に行って。藤の蔓を割って、つないで、長くして。それを大きな木に結わえつけて、ブランコにしたり、そうして遊んだんです。小学3年生ぐらいから中学ころまでやってたのかな。
小さい頃から、昼でも夜でも子供同士が集まる場所があったんです。今の子はそういう場所がなくて
ホントかわいそうです。
「歌津に生きる」小野寺弘司さん
[宮城県本吉郡南三陸町歌津伊里前]昭和21年(1946年)生まれ
投稿日:2012.01.01
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