太平洋戦争で支那さ行った人は、戦争に出て死んだわけじゃねえんだよ。水が悪いから、みんな戦病死なのね。飢えて、草を食べたの。そんで水がねえから、馬のおしっこ飲んだの。体の弱い人は下痢になったの。野戦病院さ入ると、薬もねえし、食べ物もないし、もう助かんないんだって。
だから招集されて一緒に支那に行った雄勝(おがつ。石巻市)の親類の兄弟2人が、野戦病院さ入ってしまったんですね。当時は食べ物も無い頃だったけど、おじいさんは船に乗っていたから船に積んだ食糧を、その野戦病院に入ってる人のとこに持っていったんだって。3回病院に見舞いに行ったけど、2回目まではその人たちも丈夫でいたけんど。けど、3回目に行った時は亡くなって、もう、その病院にいなかったんだって。おじいさんたちが支那さ行った時分は、戦争は激しくなかったのよ。だから戦死じゃないの。
おじいさんの兄弟は2人戦死したの。一番下の弟と、あとこの人のすぐ上の兄さん。戦死してんの、2人。この人も男3人兄弟だった。その頃のお母さんはね、男の子を持ったお母さんはなんぼ悲しい思いしたんだね。だからこんな歌っこを歌うことも、今では無くなったけんどね、「軍国の母」を歌ったものでした。
「福の神」小野寺ちよしさん
[宮城県気仙沼市本吉郡]大正13(1924)年生まれ
投稿日:2012.01.01
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