私は銀鮭もやりましたが、主にはワカメです。最初の頃は乾燥のワカメが主でした。今は機械化が進んで作業が楽になりました私が始めた頃は、どうしても人手が必要な時は「結する(ゆいする)」と言って、近所の人同士で力を合わせて作業をしました。いつもというわけではありません。作業の内容によって必要な人数も違うし、部落で、お互いに農作業でも海の作業でも労力の交換をしながら、必要な時はお互いにそういうふうに「結」しながらやってきました。機械化されると、時間が早い。仕事は速いのが一番です。経費はかかるけれども、機械化した方がいいと思います。
「細浦の海と山と」田辺喜一郎さん(仮名)
[宮城県本吉郡南三陸町志津川細浦]大正11(1922)年生まれ
投稿日:2012.01.01
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