サンマは今のように電気でおびきよせる前は、人力で「刺し網」やったの。そっち側とこっち側で6人くらいこう、並んでて、「イチニノサン」って掛け声かけて、息を合わせて手で網に掛かったサンマを網から落とすのね。水面に浮く方の「浮き球」を「アバ」っていうんだけど、そこにロープ通してね、船のスクリューの後方に、水面にふわっと落とすんだ。沈む方には錘が着いてて「脚」っていうのね。そこから網がカーテンみたいに降りて行く。
サンマは刺し網の目に頭のほう刺さるから、刺さると取れねえんだ。だから刺し網というんだね。このやり方だと頭の方がもげたり、頭から顔から皆ハラワタが出たりして、商品価値が落ちて、それは売り物になんねえんだ。自分の顔にもウロコやら、もげたもんがくっついてね。
そのうちに電気で照らすようなやり方に変わっていった。
ようになって、刺し網は無くなった。あの船見たことあっぺ? いっぱい電気つけてね。
今のような「棒受け網」になってから、50年にはなってないね。私たちが乗ってから2年で「刺し網」から「棒受け網」に変わったからね。サンマがいっぱいかかり過ぎてね、網が沈んだこともあるの。網が上がらないくらい。網を切って揚げたことがある。
サケ・マスは深いところにいるから、海底スレスレに来てるのもいる。網をただ海底まで下げるから別な魚もいくらかとれる可能性がある。
「波静か ~われは海の子~」畠山吉雄さん[宮城県南三陸町歌津寄木]昭和2(1927)年生まれ
投稿日:2012.01.07
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