子どもの頃の楽しみといえば、やっぱり食べることなんですね。お腹がいつも空いていましたからね。山へ行って、くわご(桑の実の方言)とか、後は、茱萸(ぐみ)を採って食べるのが楽しみでした。
自然の恵みが多いとかそういうことではなくて、子どもの人数が多くて、皆が採るから競争みたいなもんですよ。当時は1クラスが40~50人。3組あって1学年150人くらいでした。
海にも、行きましたよ。潜って、タコを獲ったり・・。
そういうふうに遊んでいると、お腹が空いたり、喉が乾いたりするから、途中の畑に入って大根があれば、ちょっと無断で大根を頂いて食べたりしました。大根はね、土から顔を出している青い部分が甘いんだよ。お天道さまが当たっているところが青くなるでしょう? そこが甘いんです。で、そこを食べると美味しいの。下は辛いから・・。そういう時、犯罪意識とかそんな大げさなことは考えませんでしたね。今とは感覚が違いますね。とにかく、背に腹は代えられないと・・。
品種改良が進んでいないから、野菜なんかも今とは違います。美味しいというのが少し違うと思います。この辺は、梨とかリンゴもあまり無かったね。今は、ドンドン品種改良が進んで、種なしブドウとか出ていますけれど、当時喜んで食べていた物って、今ではあんまり売れないんじゃないかな?
柿は、当時からありました。甘柿と渋柿とありますね? 甘柿というのは、まだ木になっている青いうちから甘いんですよ。だから、そういうのは見逃しません(笑)。1つ無くなり、2つ無くなりしてね・・。その柿の木のある家の人たちの口には、ほとんど入らなかったと思いますよ。
「お正月は、お餅!」って思うだろうけど、お米がある人たちばかりじゃないから、もち米ばっかりじゃなくて、色々なものを混ぜて、豆を入れて豆餅とか、よもぎを混ぜて草餅とか。今は、わざわざそういう物を入れたほうが美味しいなんて言うけどさ。
で、もち米にうるち米(普段食べているご飯のお米)も混ぜるから、粘りのない餅になるんです。焼いても、食べると「ぼっきらぼっきら」って。ウチの弟は、「うる米餅はいらない」なんて言いました。ウチの弟だけじゃないけどね。
「歌津↔志津川 駆け抜けて・・」及川 徹さん
[宮城県本吉郡歌津字伊里前]昭和13(1938)年生まれ
投稿日:2012.01.01
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くわご, タコ, 大根, 子どもの遊び, 柿, 桑の実, 茱萸(ぐみ), 草餅, 豆餅, 餅
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