この本は気仙沼は本吉町、小泉生まれ、小泉育ちの谷さんの物語です。そこには、子ども時代に遊びを通して自然と学んだ多くのことを、次の世代に語りついでいきたいという、強い思いがあふれています。
谷さんがたくさんの同級生や、自分より大きく強い子や、小さくて力のない子もみんな入り混じって、小さな社会を作り、そのなかでみんなが生きやすいルールを作っていたところなど、現代のゲーム漬けの子どもにぜひ聞かせたい一段です。また自分の全身を使って限界まで遊びぬくという体験も、今の子どもにもっとも欠けている一面かもしれません。タイトルを「過激に遊べ!」としたのは、今の子どもたちはもっとワイルドになっていいんだ、というメッセージを込めたものです。
「三つ子の魂百まで」といいますが、そういう遊びが友だちへの思いやりや、危険に対する意識、自分の限界の認識、などを育てるという考え方は、きっと今の人間関係でも活かされているのではないかと思いました。よそ者の私たちボランティアをも、とてもオープンな雰囲気で迎えてお話いただいたことを、音声テープからも感じることができました。
前回の下書きではお見せできなかった写真や図版を、今回はたくさん入れてみました。もしかしたら、ここから新しい記憶が甦って、こんなこともあったな、あんなこともあったな、と思い起こしていただけるかな、という希望をこめて、この本を谷さんに捧げます。
末筆ながら、貴重なお時間を割いていただき、ふるさと小泉のあれこれ、子どもの遊びの世界のすばらしさについて熱く語ってくださった谷さん、そしてご協力いただいたご家族の皆様に、心よりお礼申し上げます。
2012年3月6日
RQ聞き書きプロジェクト メンバー一同
私は生まれも育ちもずっと小泉なんですよ。住所で言うと、本吉町中島っていうところです。赤崎海岸の近く、川のそばですね。潮干狩りができる場所です。
私は昭和49(1974)年2月12日生まれ。長男で、下に男、女、男、女の順番で5人きょうだいです。一番下が24歳で14歳も離れてるんです。みんなひとつ屋根の下、一緒に住んでた頃はかなり賑やかでした。今はみんな独立して、一番下だけは仙台に住んでいますが、他はみんな近所に住んでいて仲がいいんですよ。
今の家には、ばあちゃん、お袋、親父がいて、私と嫁さんがいて、私の子ども。4世代同居です。この辺では珍しくないですね。長男があとを継ぐっていうのはこの辺ではざらなんです。
実家は農業との兼業漁業ですが、親父は中距離トラックの運転手をやってました。東京などに行くので、帰ってる時に集中して漁業の手伝いをしたんです。
うちのじいちゃんは、15、6年前に亡くなりましたが、今、小泉の海岸沿いに建物がぽつんってありますよね。あそこは前、かなり有名な遊園地(シーサイドパレス)だったんですよ。そこで働いていました。
写真提供:梶原雅宏「あをべにブログ」
あの建物の中には温泉があって、ボーリング場もあったし、動物もいたし。温泉はね、水族館みたいな大きな水槽があって、温泉に入りながらその水槽が見えるっていうのがウリだったんです。私も行きましたね。祖父が働いていたので、たまにこっそり入れてもらったりしてね(笑)。ボーリングは全然できませんが。この施設は昭和53年に閉園になりました。
写真提供:梶原雅宏「あをべにブログ」
ばあちゃんは昭和2(1927)年生まれ。だから84で、元気ですよ。仮設に入ってますけど。元気だから、まだまだいかねえな。「俺がいいって言うまで死ぬなよ。もうそろそろお迎えが来ても良いと思うんだけど、って断ってからいけ」って言ってるから、まだまだ大丈夫(笑)。
結構四世代いますよ、ここらへんは。普通ですね。うちも共稼ぎだし、ここらへんはやっぱり、じいちゃんばあちゃんが孫の面倒をみるようですね。
私自身は地元の印刷業に勤める普通の会社員です。田植えの時期は、家の手伝いもしますよ。漁業の手伝いもします。
漁には子どもの頃から一緒に行ってましたね。アワビやウニの開口っていうのは、台形型をした筒状の水中メガネのようなもので海中を覗くんです。底は透明のガラスになっているんですね。それを見ながら、先に鉤がついた竹竿で一個ずつ引っ掛けるんですよ。ウニを引っ掛ける時は、2本の鉤で、アワビは1本の鉤で引っ掛けるんですね。うまい人だと1日で100キロも獲るかな。私はそんなに獲ったことないですが。
潜ってはだめなんですね。許されるのは、船に乗って竹竿を使って一個ずつ獲る漁だけ。千葉の房総なんて行くと、向こうは海女さんが潜って獲る。男は船を運転して、女の人が潜って獲る・・それもやっぱり場所が決まって時間も決まってるんですね。でも私たちはこれ一本。船に何人乗ってもいいんだけど。うちでは3人かな。前までは親父と一緒に漁に行ってましたが、今は行ってないですね。
獲る日と時間は、決まってるんです。漁業協同組合に何時から何時まで獲っていいですよ、っていう日があるのね。それを開く口って書くんですが、開口日と言います。その日の長くて2時間か3時間くらいだけ捕獲が許される。だから忙しいですね。
ウニは6月から8月まで、アワビは11月から1月まで、その期間内に、何回か開口日があるんです。毎日ではないんですよ。波が高かったりしたら、その期間内に2回しか開かない時もあるし、5回も6回も開く年もあるんです。
海産資源は貴重ですからね。その期間外に獲ると密漁になってしまうんです。漁業権持ってる人じゃないと、この開口日に漁には行けないんですね。だから船があれば誰でも行けるっていうわけでもない。うちは親父が持ってたから、家族みんなで開口に行けました。
時間が短いと思うかもしれないけど、アワビっていうのは、中国料理の干しアワビの原料に使われていた時は、1キロ1万円した時期もあったそうです。最高値で1キロあたり1万2000〜3000円、つまり計算すると、1個獲ると1000円になるのね。アワビの価格のピークは、じいちゃんが生きてる時だから、15〜6年前までですかね。今は量も減ったし1キロあたり5000円ぐらいと、ずいぶんと安くなってしまいました。
開口のときの海はすごく綺麗でなんです。真冬だと、陽が上ってくると、海の温度の方が高いから、靄(もや)みたいなのが出るわけですよ。写真があれば・・写真が流されてしまったのが惜しいですけど・・。
朝もやの美しい気仙沼
写真提供:気仙沼気楽会「気楽会の気仙沼日記」
秋はサケ、夏はヒラメですか。冬だったらアワビを獲ります。ここのアワビは、養殖したのを放して、それが大きくなるまで待って獲るんですよ。
ウニは自然にあるものを獲ります。ここのはムラサキウニといって、北海道なんかのバフンウニとはまた違って、ちょっと甘いんですね。ウニ丼なんかおいしいですよ。ご飯よりウニの方が多いですからね。
こっちは酒といえば日本酒なんです。若いときは「飲んでナンボ」と思っていたので、飲みすぎてしまい、最高はお銚子15本まで行きましたね。次の日胸やけするほど。今はほんと2、3杯くらいですが。
晩酌は毎日します。おつまみは食べないんですよ、飲むか食べるか、どちらかしかしません。うちの奥さんは、梅酒の梅で酔っぱらうくらいですから、晩酌の相手はしませんね。ひとりでチビリチビリとやるんです。
子どもがもう中2と小6の男の子、小3の女の子の3人なんですが、大酒飲みの親をみているので、将来は逆に飲まないかもしれません。
私が子どもの時っていうのは、ゲームなんかない時代だったので、外で遊ぶしかなかったんですね。ボーリングのようなお金がかかるようなことも眼中になく、海遊び、山遊びが得意でしたね。
蛇なんか平気で素手で捕まえてましたよ。そのなかに「ヤマガカシ」っていう、毒蛇で、ほんとは危ないのも混じってたっていうのを、つい最近知りましたから(笑)。
このあたり、蛇は結構いますよ。青大将とか。捕まえてどうするのかって? 友だちの近くに投げるんですよ(笑)。今思えば、かなり問題になるようなことばっかりやってたんですよね(笑)。もう周りがガキ大将の集まりみたいな感じだったので、誰が一番って事じゃなく、みんな過激でした。
たとえば、缶蹴りをやっても、力の加減がないので、川に蹴ったり、堆肥に蹴ったりとか(笑)。それでもルールはルールだから取りにいかなきゃいけないんです。缶を蹴って、最高で屋根に乗っけて、それをはしご使って登って取って来いって言うんですからね。その間に隠れるんですからね。私たちは、ほんと同年代には遠慮しなかったです。あの当時の私たちが今ここにきて、本気出して子どもたちと遊んだら、過激すぎるでしょうね(笑)。
私たちは結構やってたんですが、気仙沼線の線路の上を歩いて行って、トンネルの中を歩いて、わざと汽車が来る時間まで待つようなこともやりました。退避溝の中に隠れて汽車が来るのを待つんです。
チキンレースもやりました。田束山(たつがねさん)の頂上まで自転車で行って・・ブレーキをどこまでかけないで降りて来れるかとかね。麓まで降りてブレーキかけるとブレーキのゴムのパッキンが蒸発するんです。
親も止めませんしね。「お前行って来い」って(笑)。怪我してもいいけど入院するような怪我はするなと。子どもは口で言ってもわからないですから、実際に体験することで、どこまでやれば人は怪我するんだなとか、考える力がつく。
喧嘩をしても、自分が悪いんだったらすぐ謝り、自分が悪くないんだったらなんで悪くないのかっていうことをちゃんと相手に認めさせなさいといけない。力に訴えるのは、もう最後の手段です。殴り合いをするときでも、モノ持ったりはしないという暗黙のルールがありました。次の日は、ノーサイドです。喧嘩したのも忘れて。ふたりでお互いにごめんなさいってね。たんこぶだらけでね。
ゲームの時代になって、自分の子どもは外遊びをやらないから、全然そういう面白さがわからない。かくれんぼはたまにやっても、私たちから見れば「え、それだけ?」みたいなもの足りなさがあります。もうちょっと過激なことやればいいのにと思いますね(笑)。
知らない人が多いと思うけど、私たちの時っていうのは、「ケッタ」というすごく面白い遊びをしたんです。あの石投げてやる「カカシ」と、「かくれんぼ」と、「だるまさんがころんだ」を融合した遊びなんです(遊び方は、谷さんが詳しく書いてくださいました)。
これは大谷地区にも津谷地区にもない、小泉地区だけの遊びなんですよ。たぶん私たちの年代だったらみんなやったことがあると思います。親父の年代だったら知ってますね。同年代、そしてちょっと下の年代だと、3つ4つ下くらいまではわかるんじゃないかな。
ケッタは対抗戦も面白いんです。ちっちゃい子と大きい子が喧嘩してね。踏んだとか踏まないとかね。見つけてないのに名前言ったとか。今やっても本気になると思いますね。
「ケッタ」は自分の子どもたちにも伝えたいんですよね。
(監修:谷さん)
5~10人くらいで遊べます。
これ以上多いと、オニが全員を探しきれず交代できないので面白くなくなります。
1)土の上にゲームゾーンと、石投げ位置を示すラインを描きます。
2)メンバーは、5つのゾーン(台形4つ、四角形1つ)に場所を書き込みます。
・この場所は、石を投げてそこに入ったら、その場所まで走っていくことになります。
・狙いにくいところほど遠い場所を書き込むようになっています。
3)メンバーは適当な小石を自分で拾ってきて準備し、ラインより手前から投げます。
・入った場所が、自分の走っていく場所に決まります。
・石がゾーン外にはみ出たら、次の順番が回ってくるまで待って、もう一度投げます。
・場所が決まった人から、石投げの列から抜け、全員の場所が決まるまで繰り返します。
・何度投げても入らない人は、見切りをつけられ、一番遠いところを指定されてしまいます。
4)全員の走っていく場所が決まったら、角丸に足をつけて、「ヨーイドン」でその場所まで全力で走っていき、タッチして戻ってきます。一番最後になった人がオニになります。
・つまり、遠い場所でも脚が速ければオニにはなりませんし、近い場所でも脚の遅い子はオニになってしまうことがあるのです。
5)オニが決まったら、オニは自分の場所までもう一度行って、戻ってきます。その間に他のメンバーは全員逃げて隠れます。
・つまりオニが行く場所が近ければ逃げる時間も少なくなるのですね。
6)オニに全員見つかったら、3)⇒4)⇒5)を繰り返します。
・オニに何人か見つかってしまっても、見つかっていない人がオニに気づかれないようにゲームソーンにこっそり近づき、角丸にタッチしながら「ケッタ」と大声で叫ぶと、オニは自分の走る場所までもう一度行って戻ってこなければならない、というルールもあります。その間に見つかった人は解放されてもう一度隠れることができます。そこからは4)⇒5)を繰り返します。
こんなふうな遊びをしたのも、中1くらいまでですかね、中2、中3になるとやっぱ忙しくなるので。
うん、でも「ケッタ」はね、絶対子どもたちにやらせたい。
友だちの中には、幼稚園からずっと一緒で、30何年付き合ってるヤツがいます。
ライバルっていうより、こいつが先頭切って(過激な遊びを)やってるってところがありました。
たとえば、海に、発泡スチロールを紐で結って、海に向かって泳ぎだして冒険したヤツですからね(笑)。しかも真冬の海ですよ? それも子どもが、発泡スチロールを結っただけですよ?
ま、想像通り大破しまして(笑)。泳ぎが得意なんですが、ひとりでやりたかったんでしょうねぇ。あいつは発想が面白いんです。
筆者より~「みそっかす」について
「みそっかす」という言葉を調べると、「みそっかす」は味噌をこした滓のこと。転じて、子どもの遊びで一人前に扱われない子どものことを言う、とあります。インターネット上などでは、子どもに対して酷な言葉だ、とか差別用語だなどと言っている人もいます。「みそっかす」を仲間はずれにすれば、確かにそのようにも考えられるでしょう。しかし本来の定義では、遊びの初心者などに対し、ハンデを与えて共に遊ぶ、「仲間に入れて」といえば断らない、という公平なルールがそこにあると思います。公平、というのは平均とは違います。谷さんたちの遊び方を拝聴していると、「みそっかす」も成長し、やがて年長になって、遊び仲間を卒業するく年上のメンバーになりかわり、新しい「みそっかす」を保護していくような役割を担っていく、世代交代がそこにあることに気づきます。
呼び方の心象だけきめつけるのでなく、社会的弱者を内包して機能していくような、健全な場所が子どもの遊びの世界にあったということを、私たちは忘れていることに気づかされるお話でした。
ケッタは今のうちに伝えないと。今の子どもを見てると、こういうゲームもやらないんだなっていう残念な気持ちがあります。こういうのを通して、子どもたちだけのルールがあったわけです。
たとえば、小学校とか中学校ぐらいの年齢では、みんなで遊んでいると、やっぱりちっちゃい子どもは混ざりたいので、「混ぜて」って来る。それを、やっぱり「ダメだ」とは言えません。
(そのままだと力の差がありすぎるので、)この辺の言葉で「味噌っかす」っていうんですが、ちっちゃい子どもを対等に遊ばないで、大目に見て、手加減してやるっていうことなんです。大きい年代と小さい年代が同等に遊んでるフリして、わざと負けてやるんですね。たとえば、「ケッタ」の石投げで一番遠くのところに入っても、わざと石にぶつかったように見せかけて真ん中に入れてやるとか。
そんな感じですから、大きい子がちっちゃい子の面倒を見てたんですよね。だから、この辺は、先輩と後輩の縦のつながりがすごくうまくいってるんです。しっかりしてるんですね。私たちの10コ上っていうのはもう48、50の人たちなんだけども、私もその上の人たちの顔と名前がわかるし、上の人も私のことがわかるんです。反対に私たちの10年下、今28歳くらいの後輩のことも、私もわかるし、あっちも私のことがわかる。
今の子どもたちに「味噌っかす」っていうのはわかるかな、どうでしょうね。学校の行事で学年入り混じりでやることはあっても、こうやって10人とかで集まって遊ぶっていうのは、まずめったにないですよね。年長者がね、年少者の面倒をみるなんて、それは私たちは当たり前のことだったんです。引っ張って遊んだし、危険なこともさせたし。今は危険なことはやらないでしょ? それがちょっと残念ですね。
でも、私の影響はうちの小学校6年生の息子に出ていますね。弓矢を自分たちで作って遊んでるんです。私も同じことをかなりやりましたね。そこで、刃物の使いかたや危険性を覚えるんですね。そういうことに関してはここはまだうるさく言われない、大丈夫ですね。個人的には子どもは刃物を持っても良いと思います。切って、「痛いな」「なんで切ったんだろうな」と考えるような体験をさせたいんです。
田束山(たつがねさん)に行ってみるといいですよ。あそこは、藤原秀衡(ひでひら)があそこを開山して、お経の筒を埋めたんですよね。それが発見されて、霊山と呼ばれています。
お祭りは、5月6月に旧歌津町と旧本吉町でつつじ祭りっていうのをやってたんですよ。旧本吉町というのは、今は気仙沼市と南三陸町に分かれてしまいました。地震で倒れてしまったんですが、三十三観音像や、不動明王像もあります。観音像は大体1メートル50センチくらいのが33体あって、あと高さ5~6メートルの不動明王が1体あります。
不動明王の堂々たる立ち姿。正式名称は田束山大聖不動明王(たつがねさんだいしょうふどうみょうおう)
写真提供:与平「仙台人 が仙台観光をしてる ブログ」
みごとな観音像。田束山の美しい自然を背景に。
大谷地区ってありますよね、あそこは大谷鉱山って金が発見された場所です。藤原氏は金色堂で有名ですが、関係があるって伝承があるんですよ。(注※この地方の金が、奥州藤原氏の黄金文化を支え、平泉中尊寺金色堂に使われたともいわれている)金の採掘の歴史は相当古いものだと思うんです。大谷鉱山は石巻の金華山の下までトンネルが続いてるっていう話もあるくらいですからね。
実はうちのじいちゃんは大谷鉱山に行っていたんです。それが閉鉱になってから、シーサイドパレスで働いたんですよ。
大谷鉱山跡
出典:常磐金山史研究会
うちの船は津波で流されて、どこに行ったのか分からないんですよ。
ところが、オペレーション・ブレッシング(注※アメリカ合衆国バージニア州バージニアビーチを本部とする非営利団体)という海外のNGOに、船を頂いた(42隻の船が寄贈された)んで、漁に出られることになりました。すごく助かっています。船の大きさは、18尺だから5.2mかな。船を自力で買おうと思ったら、10万20万では買えないですからね。船外機が高いんですが、船体から揃えるっていうと、新品で200万円近くかかるんです。それでも、船の数が行き渡らないことや、高齢なんかを理由に、津波被害を機に漁業を辞めたりする人が多くなるんじゃないかと思いますね。
津波で、アワビの稚貝が激減したので、もう一度稚貝から育つまでは、3~4年かかると思うんです。アワビは9センチより小さいものは規格外で獲ってはダメなんです。獲ると密漁ですよ。だから、獲るときに大きさを計るんです。小さいと海に返します。
アワビの食感ですが、テレビなんかで「アワビはコリコリして歯ごたえがあっておいしい」っていうのは、あれは嘘ですからね。獲れたてはすごい柔らかいんですよ。1月は風が冷たいので、暖を取るのに七輪を船にのせていますが、その上でアワビを焼いて食べると、香ばしい匂いがして、ほんとにおいしいんです。これは漁師の特権ですね。
この辺のお祭りは、小泉八幡様のお神輿ですね。9月10、11日にやったんですよね。その神社には、たまたま津波が乗らなかったので、30年ぶりにお神輿を担いだんです。担ぎ手がいないので、最近は人が担ぐんじゃなくて、トラックに乗せて回ってたんですよ。結構重いですし、20人はいないと代わる代わる担げないんです。
だから、ボランティアの人たちにも、今回は助けられたかなと思います。地元の人もみんな喜んでいましたね。
私自身は、子どものころのお神輿の記憶はなくて、父ともそんな話にはなりませんが、たぶん、地元の青年部にいたようなので、お神輿を担いだと思いますよ。
蔵内地区には、子どもたちの虎舞っていう太鼓があって、子どもたちは叩けるんです。
復活した小泉八幡のお祭り1
写真提供:Flo de Sendai Kournal de Flo t ses Corgis au Japon
復活した小泉八幡のお祭り2
写真提供:Flo de Sendai Kournal de Flo t ses Corgis au Japon
復活した子どもたちの虎舞り
写真提供:Flo de Sendai Kournal de Flo t ses Corgis au Japon
うちの実家のあんちゃん(奥様のお兄さま)は須賀神社の平磯虎舞(天保時代から受け継がれている。打ちばやし独特の勇壮なリズムと繊細な舞いが見もの)っていう郷土芸能で太鼓をやったんですよ。平成3年、それで全国青年大会で最優秀賞を取りました。
奥さんの話? ああ、そんな自慢するほどのものではないですよ(笑)。かみさんには、青年団っていうのがあって、そこで知り合ったんです。先にあんちゃん(奥様のお兄様)と知り合って飲んでいたりしたんですが、その関係で知り合いました。
私の近辺ではあまりお見合いはないですね、みんな恋愛結婚なので。青年団で知り合ってから、同じ会社で働いて、かみさんだけ結婚して辞めたんです。会社の中では職場結婚だと言われてるんですけど。実際は違うんですよ。もう面倒くさいので、そういうことにしていますが(笑)。
うちのあんちゃんには「お前と兄弟になるとは思わなかった」って言われます。うちのかみさんは一個年上ですから、「あれしなさい」って言えば「はいっ」「すいません」「すぐやります」って(笑)。外でも働いて、家のこともして、がんばってるんじゃないかと思いますね。
青年団っていうのは本吉地区や気仙沼地区の青年が集まって町単位で作るんです。男女問わず、18~34歳までの男女で、本吉町の連絡協議会の管轄区域に住所があれば誰でも入れました。地区の上に宮城県青年団連絡協議会、さらにその上には日本青年団連絡協議会っていうのがあるんです。
各地の青年団の主催で「青年文化祭」や「青年体育大会」っていうのが大規模に行われていたんですよ。文化祭っていうのは、合唱、演劇、郷土芸能が披露されて審査されて、そこで選ばれた人が県の文化祭に行って、県の文化祭で最優秀賞取ったら、その上の全国の文化祭に行くという大きな大会でした。文化祭のお世話は、地区ごとの青年団が毎回持ち回りでお世話役を、交代でやりました。いい大人がヘタな演劇、脚本から全部つくっての創作演劇なんかを練習してやるんで、随分面白いです(笑)。青年体育大会っていうのも国立競技場を貸し切ってやるほどの大規模なものでした。
青年団は毎月、何かしらの行事がありました。お茶会とか飲み会とか(笑)。結構、周りの人とも仲良くなれるんです。私たちの時はちょうど活動の盛り上がりがピークの時で、シンガポールでの海外研修にも参加してきました。私たち本吉町が国外研修一期生でした。次からの人たちは中国やハワイに行っていましたね。そんなふうに、私たちの時は青年団活動が盛り上がったんですよ。
私は、せっかくここまでボランティアをしに来たんだから、ボランティアの人は、現地の人と接してなんぼだと思うんです。私たちもやっぱりね、「来てもらってる、やってもらってる」っていう遠慮の線を引いてしまうから、その、一線を取っても良いんでないかなって、私自身は考えていますね。
たぶん、そうやったほうがいろんな話を聞けると思いますよ。学生さんの中には、ボランティアには来るだけじゃなくて、それを論文にして出したりする人もいるんでしょ。難しいことじゃなくて、(地元の人と)話した時に結構ヒントになることってあると思いますよ。それをあとあと、調べていけばいいんじゃないかな。聞いた話を有効に利用して頂いて良いと思いますよ、私は。そう思います。(談)
この本は、2011年9月30日、
谷 太郎さん(仮名)に、仮設住宅談話室にてお話いただいた内容を忠実にまとめたものです。
[取材・写真]
藤本磨臣
蒔苗大地
神谷修
金森みどり
大槻フローランス(小泉のお祭り)
[年表]
河相ともみ
織笠英二
[編集協力]
江戸川淑美
[文・編集]
久村美穂
[発行日]
2012年3月6日
[発行所]
RQ市民災害救援センター
東京都荒川区西日暮里5-38-5
www.rq-center.net