スパイダーこと蜘瀧仙人(本名・八幡明彦)さんは、東日本大震災の津波被災地・南三陸町歌津で出会ったボランティア仲間でした。そして、歌津でのスパイダーの支援活動の記録を子どもたちのために残す、それが私たちRQ聞き書きプロジェクトと彼との生前からの約束でした。今ここにその約束を果たし、天国の彼に捧げることができることをとても嬉しく思います。
彼は少々風変わりな風貌と行動で知られていました。大津波の爪痕深い被災現場から山一つ越えた窪地「さえずりの谷」にテントを張って、子ども支援の活動に乗り出したのです。そのころは、周囲は瓦礫撤去や物資配布といった短期的な緊急支援にばかり目が行きがちで、子ども支援の必要性がなかなか理解されずに苦労したかと思います。理解ある人々も活動の行く末について、大丈夫なのか、どうなることかと見守っておりました。けれど、自分で声を上げることのできない子どもやお母さんには、この支援が本当に必要なことだと理解していたスパイダーは負けずに進んでいきました。
当時の現地活動の説明会でもなんとか必要性について分かってもらおうと、真剣な表情で、必死に訴えていた姿が目に焼き付いています。彼の考えが相手に伝わったのは、言葉よりもその誠実な行動でした。少数精鋭のサポーターとの活動が定着するにつれて、子どもたちの絶大な支持と親御さんたちの理解によって、学校との連携、地域の他団体、県外の支援といったつながりが生まれ、それと共に彼の表情も柔らかくやさしく変わっていったような気がします。
被災地でのボランティア同士は、それぞれのバックグラウンドや肩書きなどの垣根を越えて、対等に手を取り合うことができる特殊な環境にありました。逆に言えば、仲間うちではプライベートの姿をほとんど知らない人が多かったことでしょう。よき父、賢明なる学者、敬虔なクリスチャンなどいろんな側面を持った人であったろうけれども、その部分を知るには残念ながら、彼と過ごした時間は短すぎました。
この本では、さえずりの谷にて2013年6月、その後11月にもう一度行われたRQ聞き書きプロジェクトによるインタビューとヤマ学校のブログ、彼自身のフェイスブックの記事を中心に、3年間のあゆみを再構成してみました。この短期間に彼がこの地に撒いた種が実にたくさんの芽を出し、多くの仲間を集めていることに改めて驚いています。彼自身の言葉を読み返して「ふるさとってなんだ、自然ってなんだ、僕たちが守るべきものってなんなんだ?」という声が聞こえてくれば幸いです。
2015年5月
RQ聞き書きプロジェクトメンバー一同
完売しました
投稿日:2015.05.15
カテゴリー:自分史.
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スパイダーって何者なのか、なぜ歌津にいたのか、何をそこでやろうとしたのか、まとめて読んでみてはじめて彼の凄さが分かりました。断片的にしか知らなかった彼のさまざまな行動は、すべて深い洞察と知識、地域への熱い想いをベースに、被災地の未来(日本の未来といっていい)を見据えたものでした。そのことにもっと早く気づいていれば、彼のよき理解者になれたのにと今となっては非常に悔やまれます。
被災地の子どもたちとともに歩むことを決意した潔い生き方、ブレのない生き様は、あまりにもかっこいい。誰も真似することはできないけれど、少しでも彼のような生き方をしてみたいと思わずにはいられません。