小学校のころは給食がなくて、お弁当を持っていったのですが、家は田んぼと畑と海があるでしょう。そういう志津川の生活ですから、親は大変だったと思うけれど、子供はあんまりひもじいとか、大変とかいうことはなかったですね。
ただあの、お弁当を温める暖飯器って知っていますか? 下に炭を置いて、段があって、そこでご飯を温めるんですね。そうすると、お漬物が匂っちゃって。一番下はあったまるわけね。そしたら2番目の人が今度は下に行って、交互に温まるようなっていて。アルミのお弁当だから、角が腐食するようなお弁当箱だったんです。
人のお弁当を見るなんて、あまりなかったのですが、おかずなんかないですから。梅干しはいい方で、まずご飯を入れて、味噌を入れてくる人が多かったですね。
その他はたくあんしかなくて、それをみんなご飯に入れてくるから、私たちクラス40人から50人くらいいましたので、匂いがみんなついちゃって。そんな学校生活でしたね。
「わたしの志津川」高橋登美子さん
[宮城県本吉郡南三陸町志津川中瀬町]昭和13(1938)年生まれ
投稿日:2012.01.01
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