お風呂はどこの家にもありましたね。
まあるいドラム缶のような大きいの、1個半くらいの長さにしてね、丸い筒があって、そこで木なんか焚いてそして沸かしたの。あとは松から下りる松笠(まつぼっくり)ありますよね。あれ拾ってきて。あれは燃すのに最高、良かった。拾うのは、子どもばかりでなく大人もついて行くからね。半造なんて、危険だからね。笹浜の家は10人家族だったから、家族だけでお風呂に入っていました。
小鯖に嫁に来てからね、この辺は、どこの家にも風呂があったけど、それでもね、「もらい湯」はさせてたの。お風呂があっても、燃料の木の蓄えが無かったりすれば、「貰いにいってくるか」っていうわけでみんな寄ってくるわけさ。40年前まで住んでた家は坂の一番下にあったんだけど、周りはみんなね、お風呂に入るように呼びにいったの。お姑さんから「どこそれ、来ないから行って呼んで来い」って呼びに歩かせられたの。井戸は家のそばだから、中のお湯が少なくなれば水を汲みに行って足して。ぬるくなれば、立って行って、風呂の火を燃して。そして、「もうそろそろ、みんなお風呂から上がって家に帰ったから、あんたも入って寝らい(寝なさい)」って言われるわけ。
「新屋のみっちゃん、昔がたり」丘 美津江さん(仮名)
[宮城県気仙沼市唐桑]大正15(1925)年生まれ
投稿日:2012.01.01
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