私の妹は歌津に嫁いでいて、なんとも無かったんです。それで、妹の家からバッテリーだ、車だ、って借りてきて、下の避難所に貸していました。それに、ウチは歌津のお客さんが多かったから、いろいろな情報が入ってくるんです。聞くと、歌津と小泉では様子が違う。あっちは支援物資が来たのはみんなで分けて、食べる物も支援があって、ご馳走になって・・・って聞くんです。
ところが、ここは、私たちが入った時点で200人の食事を私たちが作って食べて、いろんな物資は来るけど「ありがとうございます」って頭を下げてもらって、そのまま上の体育館に上げさせられるんです。水も上。ペットボトルに入った水じゃなくて、四角い箱に入った下で開けるタイプの水も全部。だから、水を飲む時は自衛隊が持ってきてくれたタンクの水を飲むんです。凄い塩素臭くて、コーヒーの味も「変だよね?」って言うくらい。公民館の館長さんがリーダーっていうか、その人の指示で避難所は動いていました。
「ひまわりのように」幸田笑美さん(仮名)
[宮城県気仙沼市本吉町]昭和36(1961)年生まれ
投稿日:2012.01.01
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