3月11日の地震の日は、その前に3カ月ほど、血小板が足りなくて高熱がでたり震えがきたりする症状で、入院していました。その時から足が不自由になってしまったの。痛いから注射したりしてね。
地震が起きたのは退院してから1カ月も経たないあたりだったね。茶の間にいたところで地震が来た。家の瓦がガラガラって音立てて落ちてきて、たまげた(驚いた)でば。外に出られなくなった。
家は本格的な母屋づくりで、阿部井組という腕のいい大工に頼んで、44年前に建てた、良い材料で建てた家だったんです。普通、瓦は7〜9段で作るけっども、化粧瓦を12段で作ってたんです。赤瓦で、みんなが真似たんだ。柱には松やひのきなど自分の山の木も使っていて、あんまりたくさん材木を集めてたんで、材木屋と間違われたりしました。どこも手を入れる必要もなくて、しっかりとした造りの家だった。家の中には中廊下があり、どこの部屋も通らずに行き来ができました。ずっと綺麗なままで、伝統的なつくりの家をわざわざ見に来る人もいたんだね。そこを4年前に、トイレやお風呂などの水回りや襖などにお金をかけて、バリアフリーに直したばかりだったんです。
ばんつぁん(奥さま)は兄の家に手伝いに行っていて、帰って家を見たとき、潰れてしまったと思ったって。
津波の来る少し前から雪が降ってきました。ドーンという鳴り物が2回起こり、20分ぐらいして津波が来たんです。知り合いの若いお姉さん2人が足の悪い私を迎えに来て、家から高いよその畑まで連れて行ってくれた。
この津波で、石浜神楽の踊りでずっとお姫様(娘役)をしていた人は、隣のお爺さんだったの。ところが、今回の津波で流されて亡くなったの。お姫様っていうのはユルくねぇ(簡単じゃない)からね。ちゃんと稽古するからね。振袖を着て女役をやるんで、普段も股を開かず歩く人でした。
「謡い舞う、神々の見守る浜で」佐藤良美さん
[宮城県本吉郡南三陸町志津川]昭和2(1927)年生まれ
投稿日:2012.01.01
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