震災当日の2時46分、家内は家に居ました。私は裏にいて、そこの空き地、公民館のところにいました。最初はゆるゆると、長く続いて、横揺れでした。家を見てて、倒れないかなと・・。自分は立っていられませんでした。車に寄りかかっていたけれど、ズルズルとしゃがみこんでしまって、家からは50メートルくらい離れているので、少し弱くなってから歩いて家に戻りました。とにかく長く、長く続きました。
家はつぶれずにすみましたが、家の中が、棚から物が落ちたりしていたので、それを片付け始めると、津波警報が出ました。それから直ぐに大津波警報に変わって、とにかく避難しようとなり、家内が体調を崩しているので「車で送るか?」と聞いたら、歩いていくというので、家内を先に家から出して、私はもう一度家の中を見てから、トラックでここまで(小学校)避難しました。トラックに長靴とか防寒着とか積んで、もう少しいろいろ積んでも良かったんだけど、やっぱり人気がなくなってくると気持ちの悪いもので、とりあえず気のついたものを積んで逃げました。揺れが強いから、上へ上がって、ここの上で海を見ていました。
見ていると、沖のほうから波が、白波が高くなってきて、見ているうちにここも危ないから、「もっと上へ上がれ」って、お互いに声を掛け合って、みんなで中学へ上がりました。その時は車を置いて。ここに20〜30台あったと思います。私は近くに停めてあったので車で上がりました。
最初に、防波堤と防波堤の間から波が入ってきました。一番先に流された家は、その波に流されたんだと思います。その最初に流された立派な家が、この直ぐ下で壊れました。その後は、家のほうが心配で、そちらを見ていました。まるで将棋倒しみたいに、海から波がどおってきて、どす黒い色でした。段々段々家が流されて、自分の家が流れるのを見て、後は見ていません。津波は何回も来たんだけれど、私は1回を見ただけです。自分の家が「わ、流れたな」って。家が、1軒の家の屋根がこの小学校の校庭まで流されて上がったと聞きました。
普通引き潮があるんだけれども、引き潮がなかった。沖のほうから壁みたいに水が来ました。2回目は大きかったと聞いていますが、段々暗くなって寒くなってきたので、みんな中に入りました。
「縦の糸はあなた、横の糸は私──夫婦の自分史」千葉貞雄さん・きちよさん
[宮城県本吉郡南三陸町歌津伊里前]昭和4(1929)年生まれ
投稿日:2012.01.01
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