スパイダーこと蜘瀧仙人(本名・八幡明彦)さんが歌津で亡くなって1年。スパイダーへのインタビューと自身が綴ったヤマ学校のブログ、フェイスブックの記事を中心に、3年間のあゆみを再構成してRQ聞き書きプロジェクトが1冊の本にまとめました。A5版224ページのフルカラーです。〈完売しました〉
RQ登米のなつかしい顔、「きんちゃん」こと岩渕謹一さんの自分史です。戦時中の記憶について語るとき、穏やかで優しいきんちゃんの表情は厳しくなり「戦争なんか2度とするもんじゃねえ」と、とても力強い口調で繰り返します。きんちゃんの反戦への思いを、多くの方にも知っていただければ幸いです。
「ぜひ父の満州引揚の話を」。小野寺幹男さんの息子さんからお声がかかり実現した自分史です。お話は満州という土地に夢をかけた日本人が、敗戦と同時に奈落の底に突き落とされていく様子を、当時11歳という多感な時期を迎えていた少年の目から見たままに語られていきました。言葉を失う描写ばかりでした。
波の音を子守唄に、穏やかに眠る日もあれば、時化の日に荒波を乗り越えることもある船乗りの暮らしは、それを経験したことのないものには分からない魅力とそれに伴う危険に満ちています。海の男は乗り越えた波の分だけ、強い。それが山口道孝さんの自分史から伝わってくるはずです。
「語り部さん」と呼ばれる抜群の記憶力の持ち主で、南三陸の歴史・風土・伝承を語り続けているのが西條實さん。祖父が残した「慶長地震津波伝承地」の記録を東日本大震災で失ってしまいましたが、東北大学の田中則和先生の協力を得て復元することができました。
歌津の漁村・寄木浜に250年の伝統を持つ小正月の行事で、大漁と航海の安全を祈願して行われる伝統の子どもの祭り「ささよ」。船頭が船子に漁獲高を分けるまねごとをこの祭りで行うことで、子どもたちは猟師の習慣を学び、大人の仲間入りをしていきます。この祭りの保存に、長年力を尽くしてこられたのが畠山吉雄さんです。
「自分史らしきものを書いていたのですが、津波で資料を全部なくしてしまった」。お話の途中でそう聞いて、なるほど!と思いました。正一さんのお話はすでに出来上がった原稿のように整理されたものだったからです。歴史的にも貴重な証言となる満州時代のお話など、地方の村に住む青年の人生をぜひ感じていただきたいと思います。
佐藤尚衛さんから語られるふるさと鱒淵の土地と人にまつわる物語は、どれも生まれ育った美しい里山への、のびやかで、おおらかな愛情にあふれています。林業にかかわる仕事をされたきた尚衛さんと、里山の人々のつながりの温かさ、鱒淵での昔からの産業史、暮らしの諸相、そしてふるさとへの熱い思い入れを詠んだ川柳などを知っていただければ幸いです。
昭和の初めにお生まれになった佐藤はぎのさんの軌跡をお聞きすると、いかに今の世の中で自分がのほほんと生きているかを思わずにはいられません。現代の平和で豊かな生活の基盤は、はぎのさんのような明るくたくましく情にあふれた女性達が築き上げてきたのだということを感じました。
ひとはどこを故郷と呼ぶのでしょうか。両親の生まれ故郷に里帰りするうちにそこをふるさとと呼ぶようになる人もいれば、自分の長く生まれ育った場所をそう呼ぶ人もあるでしょう。村上幸雄さんは自分を育んだのは、友達であり仕事や社会活動を通じてつながった地勢的な境界線を越えた人々だったとおっしゃいます。村上さんの人生に触れ、私たちも得難い追体験をさせていただきました。
この物語では、唐桑の海辺に生まれ、育ち、山一つ越えて海辺にお嫁に行き、そこで暮らしてきたひとりの女性の人生が振り返られています。いつ通っても笑い声の絶えない、和やかな雰囲気のなか、とても深みのあるお話を伺うことができました。
この物語は、今や町の宝、無形民族文化財となった「石浜神楽」を歌津に根付かせた方の物語です。歌津に生まれ、戦中戦後の激動期にも、いつも心に歌と踊りがあった良美さん。語り口は飄々としていて、茶目っ気もあって、聞いている私たちが思わずクスッと笑ってしまうような温かさがあります。
登米市迫町の農家に生まれ育ち、結婚後は南三陸町志津川で銀行マンとして、また酒屋のご主人として人生の大半を過ごされた須藤衛作さんの物語です。地方銀行が会社組織となり、そして冬の時代を迎えるまでの変遷を身を以て体験し、2つの大津波に見舞われる。まさに激動ですが、その人生を「悠々」と語ります。
「娘さんを亡くされた父親が、1人で泣ける場所を探している」というエピソードが心に深く突き刺さりました。きっと誰しも多かれ少なかれ、そのような思いを抱えていたのではないでしょうか。今は泣きたくても泣いてなんかいられない、という日々の連続でここまで来られたのでしょうが、ご本人は決してご自身の苦労話などなさらないのです。
山内さんは、神様と市井に生きる人々の仲立ちをする神主さま。歴史ある小泉八幡神社の儀式では、近寄りがたい厳かな雰囲気をたたえつつも、小中学生にとって、先生の顔を持つ人柄を映して、その場の空気も緑深い森の朝のように、澄んで温かいものになるようです。生涯の大半をおおぜいの子どもたちと過ごしてきた山内さんにとって、子どもたちへの愛情は特別なものがあります。
歌津に生まれ育ち、中学時代は陸上の選手、高校時代はバレーボール部の主力選手として活躍し、スポーツ万能青年だった及川徹さんの自分史です。臨床検査技師として志津川病院に勤務、退職後は歌津町・南三陸町議会議員をお務めになりました。歌津と志津川を爽やかに駆け抜けてきた印象を与えてくれるお話です。
この物語は、私たちが今まで被災地域で聞いたどのお話にも似ていません。際立って特別な物語になっているのは、語り手が「風の人」だから。現在は宮城を離れて暮らしていますが、きっと心の中の風景には、気仙沼本吉の美しさ、理屈だけではやっていけない「土の人」の、素朴な暮らしのよいところが思い出されているのでしょう。
理子さんのお話には、家にまつわるエピソードが多く出てきます。ご夫婦で手作りした16坪の家は、歌の世界と重なり、ご家族が支えあっての暮らしは、まさに「ホーム・スウィート・ホーム」そのものです。理子さんが語る言葉には、ご自身の辛さ・苦しさよりも、ご主人への感謝とご家族への愛情があふれています。理子さんの、忍耐強く温かいお人柄を伝える1冊です。
お母様・幸田理子さんと一緒に自宅で理容店を営んでいたのが幸田笑美さん。津波で家を流された後、仮設住宅に暮らしながら現在は4坪のプレハブ店舗で理容店を再開しています。どんな時もお日様をまっすぐ見上げる「ひまわり」のように、明るく元気なのが笑美さんです。親娘それぞれの自分史にご注目ください。
大正の終わりに志津川の細浦に生まれ、時代の大きな移り変わりの中で、ご家族を支えてこられた阿部琴女さんの物語です。女性が語る、戦時中の生活はとても貴重。決して楽ではなかった生活ですが、自分たちの手で生活を営んできた誇りを感じます。働きながらも毎日を楽しんだ様子も聞けました。
「豊かになるには元手がいる。元手とは金銀や米などではなく、心持ちのことだ」と諭し、「早起き・慈悲心・隣人愛・夫婦愛」を説いたのが“福の神”。お酒が好き、人も好き、手作りも好きで、周りの人たちをいつも笑顔にするちよしさんを見ていると、この「福の神」のお話を連想せずにはいられませんでした。
志津川に生まれ育ち、地元の家を建ててきた三代続く大工さんのお話です。笑顔の絶えないひょうきんな感じの芳賀さんですが、丹精こめて建てた家や神棚が津波に流され「一時はやる気が失せて」とおっしゃいます。でもお話が盛り上がるのは、やはり仕事の話でした。大工さんとしての自負、執念、東北の職人魂が伝わってきます。
南三陸町歌津の樋の口に生まれ育ち、山と森を守りながら生きてこられた山内孝樹さん。多忙な毎日の中でも、ご自分の信念を大切にされ、いつも周囲への思いやりにあふれた、とても大きな方です。横座でお話しくださるお姿には家長としての風格が漂うのですが、お話はとても楽しくテンポがあり、毎回時間が経つのも忘れました。
小泉生まれ、小泉育ちの谷さん。子ども時代の遊びから学んだ多くのことを、次世代に語りつぎたいという思いがあふれています。同級生や大きく強い子、小さくて力のない子が入り混じった小さな社会で、みんなが生きやすいルールを作ったお話は、現代のゲーム漬けの子どもに聞かせたい一段です。
歌津の伊里前に生まれ郵便局員として勤め、町の人々の生活を支えてきたご夫婦の物語です。奥様との出会いと結婚のお話は、とてもロマンチック。今なお奥様をいたわりご主人を立てる夫唱婦随のお姿に、インタビューをした若い学生たちは多くを学んだことでしょう。
この物語は、気仙沼で生まれた及川育子さんが、大谷海岸で少女時代を過ごし、浜松に仕事のため単身赴いたのち、ご結婚で歌津に来られてから現在までの思い出をつづった、いわば「三都物語」です。お住まいの場所の変遷が、そのまま育子さんの女性としての成長、円熟の物語になっています。
いつも海と共にいて、時代を先取りするアイディアが素晴らしい橋田さん。「一匹狼ではダメだぞ」という生きる姿勢を貫かれています。「俺の曾爺さん、『海は俺の金庫だ』っていうんだ。海に潜ればなんとでもなるんだ」と、誇らしい笑顔でお話しくださったことがとても印象的でした。
昭和ととともに産声を上げ、伊里前に生まれ育った高橋静男さん。その知識の豊富さ、好奇心、ユーモアに溢れた語り口を収録したこの自分史は、私たちにとっても素晴らしい財産となりました。この自分史が、高橋さんにとってもう一つの宝物になるように願ってタイトルをつけました。
歌津の小さな漁師町で生まれ育った丸山敬一郎さん。高度経済成長期の日本を代弁するような人生の数ページをたどれば、「ああ、この場所にあなたがいたんですね。いまの日本になくてはならない働きをされたんですね」と感じる人は多いはず。
厳しい研鑽を経て農業家として、また地域の長として努力を重ねてこられた牧野駿さんの人生には、ものすごい厚みと重みがありました。汲めども尽きぬ泉のごときエピソードはすべてが味わい深く、牧野さんの人と人の縁を「結う人」としての生き方が、私たちの心に刻まれました。
農業家として「緑の手を持つ人」であり、区長として「中瀬町を力強くけん引するリーダー」であり、家庭人として「家族思いの父親」でもあるのが佐藤徳郎さん。穏やかな語り口や、笑うとほんとうに優しいまなざしからは想像できないほど、目標に向かって熱くひた走ります。
たくさんの人が自宅に集うことを好んだご両親。近所の人が代わるがわる入りにきた大きなお風呂。威厳タップリのお父様、お手伝いにいそしんだ子供たち。楽しいお正月。海水浴。高橋家の家族行事の数々や登美子さんの少女時代のエピソードは、私たちをタイムスリップさせ、「旧き良き日本」へと誘ってくれます。
2011年、あの未曾有の震災後、馴染みのない土地で、右往左往し、日々汗と泥にまみれていたボランティアに、真っ先に支援の手を差し伸べてくださったのは、源さんでした。そのやさしさと勇気。それらがいったいどのように育まれてきたのか、知りたい!そんな思いで取材させていただきました。
志津川で生まれ育った手塚和子さん。笑うとうんと細く優しくなる大きな瞳、あたたかい語り口。そこからは過酷な体験をされたことなどわかりません。和子さんは、安易な言葉で人を励ますという行為がいかにむなしく、思い上がったことであるかを、わたしたちボランティアに気づかせてくれました。
田辺喜一郎さん(仮名)は、大正生まれ。昭和の戦前戦後を成年で過ごされ、当時の貴重なお話をうかがえる方です。私たちの聞き書きプロジェクトの中でも最高齢です。喜一郎さんのお声は、とてもはっきりとして年齢を感じさせません。穏やかな語り口で、色々なことを教えていただきました。
孔子が弟子の曾子に対して「自分の道は終始一つの道で貫いている」といった。曾子は「はい」とだけ、答えた。孔子は、黙って部屋を出られた。門人たちは、理解できず「なにの話をされたのか」と質問した。
曾子は、「先生は、わが道は、まごころと思いやりの心、忠恕のみである」と説明された。
歌津で生まれ、豊かな自然に抱かれて育ったわんぱくな少年時代。漁船漁業の仕事を始めた青年時代。そして結婚し、伊里前契約会に入って地域のために活躍された小野寺さん。震災の時、小野寺さんの機転の効いた判断力と実行力に、地域のみなさんがどれだけ助けられ、励まされたか計り知れません。