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私が契約会をやめて息子の結婚式をしたときには、家の前がお祭りみたいだったよ。ホテル観洋で結婚式挙げたんだけど、230人くらい集まりました。観洋がいっぱいになりました。獅子舞が2頭出て、伊里前契約会にある魚竜太鼓のメンバーも20人くらい集まって。
魚竜太鼓は和太鼓だけど大きな太鼓です。100何号くらいあるのかな、こんな大きな太鼓です。叩くのは男と女。若い連中。震災に遭ってからは、魚龍太鼓は1回もやってません。メンバーになるのは、今この地区にいる若い連中なら誰でもいい。契約会に入っていなくても。そういう制限してたら叩く人がいなくなります。お祭りとか契約会会員の結婚式なんかあると、しょっちゅう出て行く。頼まれれば行くけどね。若い連中もどんどん外に出さないとだめなんです。
この魚竜太鼓を作るには、いろいろありました。東北博覧会の後に、歌津でも創作太鼓を作りたいということで、佐藤正信さん(民族歌舞団ほうねん座代表)という方にお願いしました。
太古の海に泳いだ魚竜がモチーフだから、私たちにとって母なる海だ、海はふるさとなんだと、ということで頼んだら、正信さんは最初、魚竜の2億7500万年前のイメージが浮かばず、「魚竜は海にいるもんだ、なんとか漁師と結びつけられないものか」と思って、定置網やってる親戚の船に乗せてもらって漁師が網を下ろすのを実際に見て、イメージを描いたんです。
創作太鼓でも歌津魚竜太鼓の特徴は、起承転結で1つの物語を作って、その物語にそって太鼓を叩く、「見せる」太鼓。でも正信さんは「聞かせる」太鼓を作った。そこに、漁師の太鼓なので、「どや節」という歌が入るんです。「おーおーよいところ」って歌うんです。そして最後の太鼓の叩きあげでダッダダダッダダ・・と盛り上がって行く。
物語は、最初は漁師が海へ漁に行く。そして沖で魚と戦い、そして魚を獲って大漁で帰って来るわけです。陸(おか)ではみんなが帰りを待っている。「魚竜太鼓」と「田束の夜明け(作詞は牧野さん)」その頃は創作太鼓自体が珍しく、魚竜太鼓が有名だったので、あちこちから出演依頼が来ていました。だからトラックに積んでどこへでも運んだんです。
これは初代の太鼓、地味な太鼓、地味なはっぴですね。今の魚竜太鼓はこんなふうではありません。白い派手なはっぴでですね。
私が町長になる少し前の話です。親しくしていた仙台の東北放送の子会社(TBC開発)のAさんに呼び出されて、海外向けの観光PRのビデオを作りたいから協力してくれと言われたことがあります。
彼は、当時「わが町ど真ん中」という番組担当の部長さんでしたが、私が伊里前契約会の芸能部で魚竜化石をモチーフにした創作太鼓「魚竜太鼓」をやっていたので相談にきたのです。「魚竜太鼓」は、起承転結をつけた独特の創作太鼓で、昭和62(1987)年に仙台で東北博覧会が開催されたときに創ったものです。博覧会のために宮城県の各町で創作太鼓をやろうという話になり、ちょうど私が伊里前契約会の芸能部で祭りを担当していたので、創作太鼓も担当していたのです。
部長さんに、観光のPRには何がいいかと相談されたので、「仙台七夕か、すずめ踊りのようなものがいいんでないか」と言ったら、それでは宮城県を代表する観光PRにはならないと言われました。
そこで、「それなら、魚竜化石はどうだ。これなら誰もが認める天然記念物だし、世界最高のものと誇れるんじゃないか」と言ったんです。すると彼は1週間後に再びやって来て、魚竜太鼓をモチーフにした「魚竜舞(竜の舞)」というミュージカルはどうだろうと言うので、それじゃあ、やるかと協力したわけです。
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