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この地方はね、お昼御飯はこれ、とか決まったものはないけれど、割りと米がおいしいから、おかずはあんまり付けないで、漬物だけとか、昼はだいたいそういう感じだね。
あと、「はっと」ってね。東京で言う、スイトンみたいなもので、練った粉をうすく広げたようなのがあります。具は、汁ものならなんでもいいんです。味噌汁・・・醤油でもいいし、あずきなんかお汁粉みたいにしてもいい。
一説では、昔は、米は全部年貢でとられてしまって、残った小麦を使って、はっとを練って作ったところ、それが美味しいもんだから、米を百姓がつくらなくなるからまずいって、御法度になった、だから「はっと」。そういう説もありますね。最近なんかではカレーを薄く、緩くして、それに入れて、麺でないカレーうどんみたいな、団子汁みたいな風にするところもあります。
主食のごはんがあってはっとがある。でもご飯より好きな人はそればっかり食べるようです。年中通して朝昼晩問わずここら辺で食べられていますね。いっぱい人が集まってなんかやる場合にもはっとがあれば、ハラの足しにもなるし。1年中。私はあんまりはっと自体は好んでまで食べないんですが。
子どものころ食べた、お母さんの料理はなんでも美味しかったですね。一番好きなのは煮ものです。
小さい頃の食べ物って、大してどこでも変わらない、同じようなものじゃないでしょうか。豊かな生活ではないものね。魚なんかは海が近いから、ありましたね。
志津川の郷土料理ですか? そうねぇ、鱒淵だったら「はっと汁」、いわゆる「すいとん」を作ったけど、そう言われると、なにあるんだろ(笑)?
ごはんはね、麦を一杯食べました。そこに米を混ぜて、それでも量が足んなくて大根を足したのね。なんていうの、カテ(いわゆる「かてめし」のこと)っていったのかな。とにかく鍋に麦も、大根も入れて、そこに米も入れる。だから、米だけ炊くんならば簡単だけども、そういうのも入れっからね。あの頃と今は、本当に変わったね。麦なんか見あたらないよね。なんであんなに麦食べたんだろうねぇ。米と麦、どっちが美味しいって、米が美味しい! 米はお正月だけ。米のごはんはお正月だけで、その他は、お盆におこわなんかするからね。今の人たちは、おこわなんか珍しくも何も無いのにねえ。
「お正月はいいもんだ 雪のようなご飯食べて 油のような酒飲んで お正月はいいもんだ」 だっけか。そういう歌があったんだよな~あ。
(お正月の歌は口伝えで伝承されており、いろいろな歌詞があるようです)
ずっと昔は、酒っこもお正月しか飲まないんだよ。普通には飲まない。それはずっと昔の事だよ。今は、子どもたちも私も弟たちも、よそにてんでに(ばらばらに)暮らしてるから、寄る(集まる)というと、みんな酒っこが好きなの。だから私もおすばて作りに来い来い、っていうけどもね、話の相手はさっぱり。飲むことばっかり(笑)。
あっ、餅が一番ごちそう。餅が一番のごちそうなの。なんか喜びごとなんかがあると餅つくのね。それが一番のごちそうなの。あとはお正月は、粟餅だの、小豆餅だの、いっぱい作るんだな。餅もちつくとき米だけでなく、そういうのを入れたんだね。お正月じゅうお昼には餅焼いて食べたんだな。
お米食べるようになったのは、この頃でねえっぺかなあ? いつ頃か忘れたよう。ずっと昔のことは覚えてんけどね、今のことは忘れるの。あらあらあら。
だけんども、子どもが田束山さんの遠足だの、お祭りだの、どっかさ行くといえば、みんながするように、おにぎりさ梅干いれて白いごはんを食べさせたけど、ふつうは麦が入ったの食べたね。
米は作って売るためのものでした。いいお米は売って、家では、普段はふるいにかけられた後の屑の米を食べるんです。10人家族で米の量も半端でないわけさ。お正月とか、祝い事のときだけはいい米を食べました。麦は、(売る為のもので)少ししか作っていませんでした。
おかずは味噌汁と野菜の漬物、そして魚。魚は川も海もあるから、たくさん食べましたよ。お袋が野菜を売って、その帰りに何か買ってきたもんです。
「ひた走る花屋—志津川・中瀬町の花々と星々と」佐藤徳郎さん
[宮城県本吉郡南三陸町志津川中瀬町]昭和26(1951)年生まれ
戦争中は物が無かったから、私の家は農家だから、できたものは皆で分けっこして、買って食べようと思ったことはありません。自分で採った物を少しずつ皆で食べました。分けてね。果物はその時分は、山で木の桃を採ってきたり、いろいろなを植えたりしました。当時は、「何々を食べたい」とかは、思いませんでした。
お母さんは、一生懸命お努めして、子どもたちに食べさせてくれました。干し柿は、そのままでは食べられない渋柿を食べる調理法の工夫だね。皮をむいて干すでしょう? 干して、粉が上がったら、裂いて大根おろしにしたり、さつまいもだって干して干し芋を作ったり、生の柿を潰して粉を入れてかき餅にして食べました。
米を炒って香煎みたいにして食べたこともあります。蕎麦粉に味噌と出汁を入れて、鰹節なんかも入れて練って囲炉裏で丸く焼くんです。家で採った蕎麦だから美味しいの。朝早く起きて、おやつになるように作って、あれも美味しかった。
なんでもやりました。今、買って食べるのは昔のと味が違うね。自分たちで採って、自分たちで手作りです。
後は、サトウキビ、沖縄で売ってるね? ああいうのも、私たちも作りました。あの時分は砂糖もないから、切って煮出してザルにあげて、その汁を煮詰めるんです。1キログラムの水を200グラムくらいまで煮詰めるんです。そうすると甘味がウンと出てくるの。そういうので、お正月にお餅を食べたりしました。皆で少しずつ分けてね。買って食べるということがないからね。
肉って言うのはめったに口にしませんでしたね。クジラの肉は食べましたよ。その他はたまに、卵を産むのに飼ってる鶏をシメたこともありました。
漁に出ると、黒い海鵜(うみう)がエサを狙って寄ってきて、延縄(はえなわ)にかかるんですよ。その羽をむしってカレーライスに入れてみたら、その肉が真っ黒で臭いんだ。美味しくなかったですねえ。でも肉には違いない。美味しくはないと言っても肉だからね。私たちが昔食べた肉というのは、そういうものでしたね。ジンギスカンとか豚肉なんていうものを口にするようになったのは最近ですね。子どもの頃は肉を食べることをしないから、初めて牛肉を食べたときは、それが鳥の肉だか牛だかも区別がつきませんでしたね。
私にとってのご馳走ってなんでしょうね。誕生日を祝うなんて習慣は田舎にはないですから。一番の大好物は稲荷寿司で、これが一番のご馳走だと思ってますね。ちらし寿司よりもお稲荷が好きだったですねぇ。子どものころから今だに(爆笑)。運動会や学芸会の時は、必ずお稲荷にしてもらってました。こういうことを言うと、自分の子どもたちにも笑われましたけど(笑)。昔は稲荷寿司の皮が缶詰になって売られていたんです。寿司飯は作るんだけど、皮だけは缶詰を買うんです。いまは、袋に入ってるでしょ? これがメーカーによってぜんぜん味が違うんですよ。あるメーカーじゃねぇと口に合わないというのがあって。いまは自分のところで煮ますが、やはり缶詰の方が美味しかったと感じますね。お祭りの時も稲荷寿司かって? お祭りのときは稲荷寿司じゃない、お餅ですよ。
食事も、米がないから、「つぶし麦」って言って、麦を竹の竿と木をつないだもので打(ぶ)って、ふるって、お母さんたちがついて、食べられるようにしたんです。
米だって、脱穀する機械がないから、昔は、千歯こきって言って、稲を束ねて半分くらいにしてね、ギザギザでこいで、押して、落としてから、米と糠にして・・・。今は田んぼから直ぐに機械に入れたら白米になるけれど、そういうことはなかったんです。そういう作業は、みんな手の仕事だったんです。
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