文字サイズ |
今から、伊里前の契約会の歴史をぐるっとお話します。伊里前の歴史の中に定置網の漁業権があったんです。昔のこと、私が会長になる何代も前のことで、その漁業権を当時県に150万円で売却したんです。そのお金は、その金額のまま、漁業権の補償基金として今も定期預金にして残っているんです。
当時は伊里前契約会には村を動かすほどの金があったそうです。漁業権を売ったのは何代も前の方々です。
伊里前契約会と、他の契約会との違い
契約会はここの辺の浜ごとにあります。
契約会によってルールはみんな違うんです。しかし『規約』がちゃんと生きてるところは伊里前契約会だけなんです。また伊里前契約会だけが土地や山を持っています。他の会は持ってません。
伊里前契約会の・構成・規約による役割
私が、伊里前契約会の会長になったのは、55才くらいの時かな。1期が2年で、4年間やりました。
会長は、総会でみんなの推薦でなるんです。契約会には16人の役員がいます。会長、副会長2名、会計、幹事2人、山係、芸能部等です。
伊里前契約会の規約による役割は
① 伊里前契約会が代々受け継いでいる50町歩(普通は、1町歩=1ha)位の山を1年に山を2回見に行くんです。契約会全員で。海を見に行ってから、山を見に行ったり、雑木が生えているから切ろうとか、刈り払いをしようとか考えて里山を維持しているんです。それを会長が計画をして、春と秋にある総会にかけるんです。その段取りが大変で。私も会長はやりたくなかったのさ、ほんっとに(笑)。仕事ができないですから。なんだかんだって。
今の契約会はここ3年くらい全然やってないんです。やっぱり代が変わるとこうなるのかなぁ?って、年とった人たちは言ってるんです。なんもしないで、山がどうなるのかなと。今のように3年ほったらかしてあるのは気になります。今は私は顧問だけど、何の権限もない立場です。会員の方に、たまに「あそこ、こうやったらいいのに。」くらいは言います。そうでなくても3月11日の前はみんな海の方で忙しかったから。自分たちの職業ですからね。
②お祭りは、4年に1回三嶋神社の大祭を執り行います。但し何か大きな行事があったりすると、その間でも、お祭りを行います。田束大橋ができた時にもやりました。
私が会長のときには、お祭りに使う紙花を、知的障害者の方とボランティアの方に作ってもらいました。
保健センターで集まって、作り方を手取り足取り教え、時には手伝って。1週間から10日かかったかなぁ。
自分の仕事そっちのけでやらないとできなかったですから。大変な仕事です。
③契約会は、自分が会員になっていても、息子が結婚するとその場で代が交替なんです。私の息子は私が2期やってるうちに結婚しましたから、私も契約会をやめて息子を入れたんです。息子が結婚しなければいつまででも会員です。今81歳の方もいらっしゃいます。跡継ぎいなくて。
④契約会では、特別収入があったりすると旅行に行ったりします。
契約会には代参っていって、もともと契約会のなかで八組に分かれていて、そのうちの2組ずつ神社にお参りに行くんです。春と秋と。総勢約20名で、塩釜神社と、岩沼の竹駒神社とに、お札を貰いに行くんですね。行った約20名で一晩お酒飲んでくるんです。遊びに行ってくるんです(笑)。つまり、朝7時に出発し、朝塩釜神社に着き、9時ごろに御祈祷して、その後竹駒神社に行って、御祈祷して、竹駒神社の近辺でお昼を食べて、そのあとは行き先を決めて遊びに行くんです。北に行く組もいるし、鳴子に行く組もいるし、福島に行く組もいるし。その組で違うんです。代参は、ぐるぐる回りでいくので、遊びに行く組がうらやましいとかはないでね。代参行くときは2組だから、話し合いはあります。お金かかりますし、会計報告も2組だけで開かれます。
総会の時には自分たちで料理するんですよ。前に代参に行った2組でみんなで料理するんです。
どんなものかって? 高級な料理ですよ(笑)。季節のものです。秋には地元で採れる白菜、牡蠣、タコ、さしみ、煮魚などを料理し、春にはメカブだの、ワカメだの、ホヤだの、春マスの塩焼きにして食べさせるんです。行ってきた男連中でやるんです。経費は会から半分出て、個人で2000円ずつ出すんです。いつかなぁ。こういうことしねえで、民宿でやるか!?って話になって。けど、今まで続けてきたもんだから、ずっと継続していったほうがいいんでねぇかと、そのまま継続してるんです。民宿でやるのは楽なんだけど、自分たちでやったときの味が出ないんでないんかなぁ。作るのが楽しいんでねぇ。家では何もしないような人が、出てくると やってるんですからね(笑)。準備は組長(班長)が取り仕切るんです。
契約会の会費はありませんが、総会の時に1人千円を必ず出していただくことになっています。80人いれば、それなりの金額になります。あとは祭りで太鼓を叩いたり、山車を出したりして寄付をいただいたり、山の木を売ったり土地を売ったりして運営をしてきました。それから、昔は定置網の漁業権も持っていました。毎年春には契約会を代表して20人が、岩沼市の竹駒神社(承和9(842)年、小倉百人一首で有名な参議小野篁(おののたかむら)卿が陸奥守として着任した際に、奥州鎮護を祈願して創建された)と、塩竃市の塩釜神社(国土開発・海上守護・安産守護・武徳の神として全国に知られている)に代参します。そこで、ご祈祷をしてもらい、商売繁盛・家内安全の札を会員分もらってきて総会で配ります。そして、総会が終わったら、今度は組ごとに分かれて、組長のところでお茶を飲みながら話をするんです。
Please use the navigation to move within this section.