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第1回「青年の船」に乗船

高校を卒業して、青年団活動に打ち込み、地域の活動を一生懸命行なっていましたが、そんな中、昭和43年(1968年)、26歳の時、地域での活動が認められて、総理府派遣で海外に行けることになりました。背景には、明治百年記念で、開国以来の国際化を推進するため、もっと外国と交流しよう、青少年をもっと海外に派遣しようという流れがありました。
この派遣前には試験があって、一次試験は世界史があってその準備が大変だったのですが、さらに二次試験は英語の面接がありました。語学力が試されるわけです。そこで、中学時代の英語の勉強が役に立ったんです。英単語を覚えているということが強かったですね。真面目な文法などよりも単語を知っているおかげで、相手が何を言っているかがニュアンスとしてわかったのです。しかし、現在うちの子供は国語の先生をしていて、たまに外国人がうちに来たりするんですが、「お父さんの英語は、ぜんぜん相手に通じてないよ」って言われますね(笑)。
そのようにして私は、第1回「青年の船」に乗ったのです。県から数人選抜されて団体推薦の人などと合わせ、総勢300人が乗り込んだのです。船は、東南アジア8カ国(タイ、マレーシア、シンガポール、スリランカ、台湾、インド、フィリピン、沖縄)を巡るというものでした。船の中では、大学の教授なども同行しており、青年たちはその講義を受けて勉強しながら各地を回り、各国の青年との親善交流に努めました。

「吾道一以貫之〜道拓く〜」小野寺寛一さん[登米]昭和17(1942)年生まれ

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避難生活

入谷で23日間お世話になりました。3月26日に役場から、「電気も水道もない状況では生活が大変なので、登米市、栗原市、大崎市に2次避難をしてもらえないか」という話がありました。コミュニティ単位でまとまったところから優先的に移動するということだったんです。世帯主の人に入谷小学校まで来てもらって話をしました。登米の鱒淵小学校を指定していたが、そこが当たるかどうか確信は持てなかったから、平行して独自に、登米市津山町にある旧老人ホームの跡地を借りるという話を理事長ともしていたのですが、結果的には登米市東和町の鱒渕(ますぶち)小学校(廃校になった校舎)に決まり、4月3日に移りました。
それから4か月間鱒渕小学校にお世話になりました。23日目に初めて白い茶碗で白いご飯を食べましたが、あの時の御飯の味は忘れられないですよね。町の人たちに対しては「感謝」の2文字しかありません。いずれ恩返しをしたいと思っています。助かった命は大事にしないといけないし、お世話になった人たちに対する気持ちも大事にしていかないと、人間としての価値はないと思います。

「ひた走る花屋—志津川・中瀬町の花々と星々と」佐藤徳郎さん
[宮城県本吉郡南三陸町志津川中瀬町]昭和26(1951)年生まれ

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高台移転と今後

震災から1年が経って、大分落ち着いて来ましたが、今度は自分の年齢のことなどをいろいろと考えてしまいます。国の対応も遅れていますし、移転希望や個別相談会もこれからで、復興には今から何年かかるかわからないですね。
前に住んでいた志津川にはもう住めないんです。本当は前の所に戻りたい。志津川ってのは、都会とは全然違って、みんな付き合いがあるからです。町内みんな顔を知ってる者同士ですし、銀行にいた関係上、近隣を2年ぐらい歩いたから、どこに誰が住んで、どういう人かってことが全部わかっているんです。
次住む場所は大体決まりましたが、これから必要な面積の希望をとってから買うことになるので、土地を手に入れるのがいつになるかわからない。しかも造成したらすぐに住めるわけじゃない。冗談でお寺の高台を分譲してくんないかとか言ったりします。被災者ってのは多くが70歳以上の人間ですからね。

家は、入谷の駅前、戸倉と湾サイドと3か所に分かれて移転するんです。私たちが住んでいたのは市街地だから、志津川高校の裏側と志津川小学校の裏側、それと湾サイドと同じ地区の人を、次も同じ地区に入れたいということなんですね。
もとの家の敷地は屋敷だけで400坪近くあって貸家もあるから、全体で500坪くらいあるのです。坪8万円とみているんですが、そうすると4000万が入ることになる。
しかし買い取りの代金がすぐに貰えないんですよ。替地する人たちが先になっちゃうんです。町にもそういう駆け引きがあるんですよ。被災地を買い取りするにも移転する人たちが優先になる。戻らない人は後勘定です。4年か5年後です。そうすると、先立つものがないから、家が建てられないんですよ。食べて行くだけの賃金を払う職場もないので、みんな志津川の外に出てしまいます。男はパートの680円や750円を貰ってもどうにもならないんですよ。

仮設住宅は今は無料で住めますが、3年目以降は賃料を払わなきゃならない。今、登米の仮設に来ている人も、志津川の方の仮設に入りたいと言って問題になっています。仮設が空いてればいいけど、空いてなければ志津川に移り住むことになり、補助金が出なくなることになります。自分で家賃を払って住むことになるんです。
私たちの今住んでいる佐沼の家は、小さい家だから認められましたが、2階建ての大きい家を借りた人は、登米市がみなし仮設住宅・賃貸住宅と認めなかったんです。書類に正直に書いたほうが悪いんです。2階はない物件を借りたことにすれば良かったんです。だれもそんなこと教えないから。
登米市は地元での死者が少なかったから、なるだけ余分な金銭を出さないように出さないようにしているのでしょう。私たちのようなよそから来た人には義理や、人情とかはないんです。
5人だから仮設住宅を2つ借りたんですが、狭くてね、いるところがなかったんです。そこから佐沼のこの家に移ったあとにね、テレビなどを借りることにしたんです。ある人に、6人で住むのなら、みなし住宅が仮設住宅として認められるということだったので、役場に行ったんですが、首を縦に振らないんです。仕方なく、自分で調べて、書類を一晩で書いてぎりぎりに出しました。おかげさんでテレビが借りられました。

それから市の人も家に廻ってくるようになりました。私はその人たちにいつも言うんですが、「70代の人にね、土地計画法第何条とか難しい専門用語を言ってもだめ、専用用語は使わないで話せ」って。銀行にいた私には、ある程度はわかりますよ。法律用語など、専門用語があまりに多すぎます。訳のわからないことを言う。「あんたたち自分のおやじさんに話すように話せ」っていうの。私にだってわからない法律がいっぱいあるんですから。

死ぬまでには家を建てなきゃいけないと思っています。だから、早くお金を貰えればいい。政府や国で早く土地を買い上げてくれ、代金を先に頂戴と言いたい。今高台移転で土地交換して家を建てたって1年はかかるんです。それが今から買収でしょ? まだ山で造成もしていないし、1年で収まらないでしょう。これから商店街や工場を形成することになるのですが、問題はそこです。高台移転したとしてもそこに雇用の場がないのです。もしこれを進めるなら自動車工場を引っ張ってくるとかすれば高台移転もスムーズに行く。

実は、私たちには売掛金で貸してあるのが台帳がないために取り戻せないでいるんです。地代や家賃が入ってこないところもあるし、そういう被害が大きいんです。自販機だって5台くらい持っていましたが。たくさん入ってたんだよ。売上げが少ないから毎日開けなかったけど。小金溜めてね(笑)。
酒屋の免許はありますが、再開しようという気はありません。息子はもう商売では食べていけないと分かっています。酒屋というのは、飲食店あっての商売で、ビールとか樽とか重いものを売って成り立つんです。一般個人の売り上げだけではだめなんです。復興市は観光客が来るので飲食店とおみやげは売り上げがいいらしいですが。

今、一番困っているのはね、水産加工業の人たちです。どこも人手が足りないのですが、復興需要で、建設業に携わる人は高騰し、農家の人たちは1万3千円、下水や側溝掃除に1万円が支払われますが、それより時給が低いんです。今から家を建てていくんだから、この傾向は5年は続くでしょう。また高台の土地は高くなり始めています。今、1人暮らしが20%くらいいるのではないかと思います。それに対しまともに働ける人がいる家庭なんてのは5割ないでしょう。食べていける給料を支払う職場なんてないのです。

「風の中、土に悠々と立つ──銀行マンの見た登米・志津川」須藤衛作さん(仮名)
[宮城県本吉郡南三陸町志津川]昭和7(1932)年生まれ

大地主の農家に生誕

私が生まれたのは昭和7(1932)年3月16日。もう80歳です。私は、銀行に一番長く勤めていたのだけどもね、百姓から、酒屋から、商売から、いろいろやったんです。何でもやってきたから。何でも聞いてください(笑)。
生まれた家は南方(みなみかた。宮城県登米市東部の穀倉地帯)の百姓でした。今住んでいる佐沼から2キロメートルくらいの所です。南方の小学校に6年、佐沼(宮城県登米市、南方の西北に隣接する)で中学校を4年、高校を2年と、この近くの学校に通ったからね、このあたりのことは全部、わかるわけ。その間に戦争もありましたよ。その間、中学校ではほとんど勉強しないで、田の草取りだの、農家の仕事、つまり農作業をやってきたの。戦時中の学徒動員と同(おんな)じように、学校で勉強しないで、勤労奉仕をするんです。そういうのが中学校の1~2年ごろずっと続きました。中学校2年生の時に終戦を迎えました。
実家の農家は、お袋がやってたんです。この辺りはみんな農家だったんですよ。親父は私が生まれてすぐ死んでしまったので、お袋が働いたんです。
私は5人兄弟の末っ子なんです。一番上は軍隊に入り戦死しました。2番目は学校の先生でしたが、去年亡くなりました。あとの2人の兄は、百姓をしていましたね。

「風の中、土に悠々と立つ──銀行マンの見た登米・志津川」須藤衛作さん(仮名)
[宮城県本吉郡南三陸町志津川]昭和7(1932)年生まれ

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登米の郷土色豊かなお正月

私たち農家のお正月といえば、昔は旧正月に祝ったものです。
お正月の準備は小寒、1月の半ばあたりに、まず凍(し)み豆腐を作ることから始まります。自分たちで育てた豆から、自分の家で作るんです。農家はみな、そうやったんですね、昔は自給自足でしたから。その豆で豆餅や納豆も作るんです。「ツトコ」といって藁で作った容器に入れて作る「ツトコ納豆」です。

それから飴餅です。聞いたことがないでしょう? 今でも、復刻して、道の駅なんかに売ってますよ。この登米郡地域のお正月には欠かせないものです。
飴餅の作り方はこうです。
秋に大麦が発芽してくると、麦芽っていうんですが、それを天日に干して、水に浸して「うるかし(湿らせ)」ます。その芽を使って煮た餅米をふかし、それと合わせて発酵させて、絞って煮詰めて、水飴を作ります。それを餅にからめたのが飴餅。私はそれが好きで、(結婚して登米を離れ)志津川に行っても、お正月には必ず飴餅を作ってる人を聞いて買ってきたものです。

飴餅のレシピについては、NHKの「今日の料理」のサイトに美しい写真入りで紹介があります。

また、飴餅を食べる時にかける、きな粉も自分の家で作ったんですね。きな粉用の豆を大きい鍋で炒って、石臼で挽き、ふるいにかけて作りました。豆は子どもでも挽けましたよ。中学生ぐらいになれば、手伝ったものです。飴餅にそれを混ぜて、食べるんです。うんと甘いんですよ。
そんな風に、私が住んでる志津川町と、登米のほうの餅は違うわけです。志津川の餅はあんこ餅だのクルミ餅だのですが、こちらの方は飴餅とか、あと納豆餅とかになりますね。雑煮はおんなじだけど。

あとちょっと変わった食べ物では、エビ餅っていうのがあるんです。これは、「沼エビ」を使います。今スーパーなどで売られているのは、ほとんどが茨城県の霞ヶ浦で獲れたものです。火の通った状態で売られていますよ。そのエビに醤油をかけて、納豆餅と一緒に食べるんです。
沼エビといえば、この付近はね、昔は「掘」と言って、川の小さいのでエビが獲れたこともありました。しかし、この一帯が改田(かいでん)、つまり全部耕地整理されて、水が流れていた田んぼが干拓されてしまい、水が枯れてしまったんです。だからもう、エビはいないし、ドジョウもいなくなったんですね。子どものころはドジョウを獲りましたよ(笑)。
小さいころからそういう手作りの正月を祝ってきたので、我が家のお正月は、こんな風に登米風に祝うんですよ。

「風の中、土に悠々と立つ──銀行マンの見た登米・志津川」須藤衛作さん(仮名)
[宮城県本吉郡南三陸町志津川]昭和7(1932)年生まれ

志津川の家・酒屋の歴史

志津川の養父母の酒屋は、志津川で製糸工場が倒産して、その経営者の家屋敷を買い取ったのが始まりなんです。90年くらい前の話ですが、1000坪ぐらいあろうかという相当なに大きな屋敷だったんです。当時うちの養父(おやじ)がね、德陽無尽(のちの德陽相互銀行)っていう無尽会社の下請けをやっていたので、周囲の人たちと、共同でその家屋敷を無尽にかけてて、その金で興業銀行から買い取ったんです。そしてうちは一番広い面積、約390坪を買い取りました。そしてその年から後、ずっと酒屋をしていたんです。だから、100年近い歴史があったんです。
ところが、その家は一度昭和12(1937)年の志津川の大火で全焼してしまったんです。大火で残ったのは、40坪の広間だけでした。それを私たちが母屋にして、酒屋をその前に出して再開したんです。ちょうどそのとき、養母は大学病院に子宮筋腫で手術入院していました。私たちが酒屋の商売を再び始めたころ、やっと大学病院を退院しました。
酒屋の屋号は「カクヤマ」です。由来は、養父がこの酒屋を買う前、德陽の無尽をやるもっと前に、登米の旅館に勤めていた時代にさかのぼります。登米市でも2、3番の金持ちで、酒や醤油を造っていましたが、養父はそこで何年か勤めてたんですね。そしてのれん分けしてもらったんです。そこの苗字が山田というので、「カクヤマ」となったわけです。残念ながらみな潰れてしまいましたが。
うちの2階には、かつて德陽無尽が事務所として借りていたことがあります。その後、敷地内の庭に事務所を建てて、養父(おやじ)がそこで働きました。家を改造するときに取り壊してしまったんです。

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