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まず、製材所の社長か専務か、山を見て、山を刈る。
そして今度は自分の雇ってる4~5人の木挽きさ山に入れて木を切らせる。
切ったのを地駄引きで「なんぼ(の料金)で出してくれ」と頼む。
出したのを今度は自分の車で持ってって、製材する。
こういうふうですから、人手が何人もいったんだね。
今は、森林組合は森林組合でチェーンソーで木を切って現場さ運んで、1カ所に集まった材木を自分たちで入札して買うだけで機械化も進んだから、そういう地駄引きもいらなくなったし、木挽きさんも少なくなった。人足も淀むし、諸経費がかからなくなった時代だね。
「礼儀正しい尚ちゃん? ~佐藤尚衛・馬喰一代今を生き抜く~」佐藤尚衛さん[宮城県登米市東和町米川]昭和14(1939)年生まれ
契約会では冠婚葬祭のほかに、植林や刈掃い(かりはらい)など山の管理をする山林部があります。契約会の山は40町歩くらいあって、会の帳簿上では40人共同の財産になっています。昔、みんなで話をして、あの山も、この山も、契約会のものにしましょうと決めたんだと思いますが、これは登記が難しいんです。固定資産税の請求があるので、役場には契約会の土地として登記されています。区分ごとに持ち主はいるのですが、あくまで契約会の共同の山として、個人が勝手に使ってはいけない決まりです。
山の手入れは、毎年、春の総会で「今年は5反分間伐しましょう」などと決め、山林部長を中心に行っています。刈掃いや植林は自分たちでやりますし、間伐も森林組合に頼んでやってもらいますから山はきれいですよ。刈掃いに出られない人は5千円を払うことになっています。昔は、こうして育てた木を売って収入にしていました。RQの前にあるヒノキの山も契約会の山です。今回の津波で、その向かい側の10町歩ほどは浸水しました。
それから土地も少しあります。今回の震災でも建設会社に土地を貸しているはずです。津波で流された契約会館も契約会の所有でした。その土地は“牧野”の名義の土地ですが、土地も建物も契約会のものとして役場に有料で貸していたわけです。
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