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私は、本吉町の国際交流事業にも関わっているんです。「本吉町国際交流協会」は、平成3(1991)年に組織されて、今も続いているんですけどね、国際交流ですから、特定の国だけでなく、どこの国でも交流していきます。
私の考えでは、「子どもたちに道徳教育を」と同じように、「子どもたちの視野を広くさせ、大きな目で日本と地球を考える大人に」そういう思いで、幼稚園、小学校、中学校の子どもたちと、外国人とを交流させているんですよ。この辺りには外国人は住んでいません。ですので、学校から仙台の国際交流協会に頼んで、そこに登録している外国人留学生のかた中心に、子どもをかけてもらって、年に1~2回、6人くらい小泉に招いています。小学校だと6年生まであるので、外国の方6人呼んで来ると、ちょうど1学年ずつ交流できるんです。
津波の後は県の国際交流との連絡も途絶えてしまったんですが、9月半ばごろ、所用で仙台に行った折、国際交流協会に寄ることができたんです。そしたら職員の方に「ああ、会長さん、生きてましたか」って言われんですよ。その時はすでに会長ではなかったのですが、かつて国際交流協会の会長を勤めていたので、そう呼ばれるんですね。
「いや、会長さんが連絡がぜんぜんとれなかったので、仙台の協会のほうに外国からどんどん電話やメールで問い合わせが来たんですよ」と言う。本吉の小学生中学生と交流してた留学生あたりから来てたんですよね。たった1日、2時間くらいしか交流する時間はなかったのに、母国に帰ってって子どもと交流をしたことを覚えていて、津波があったと聞くと、「本吉の子どもたちだいじょうぶですか?」とか「会長の山内さん、お元気でしょうか」と言ってくれる。
外国の方々も日本を、しかも2時間だけの交流をした子どもたちもですね、心配してるってことを身にしみて感じたんです。そのことでも、国際交流って事業はこれからも続けていかなくちゃならないなと、思ったんですね。
平成11(1999)年には、イタリアのベザーノ(Besano)という町と友好町になりました。この町はスイスの国境付近にある町で、歌津と同じ魚竜化石の町。歌津では2億4千200万年前の魚竜化石が出土しているんです。ベザーノの化石は、歌津とは違って海が隆起した山から見つかったそうです。ベザーノのほかに、魚竜化石が出土した町としてはドイツのホルツマーデンがあります。
じつは、最初に友好町の話を持ちかけたのは、このホルツマーデンでした。しかし、ドイツという国はお金持ちの子どもしかホームステイができないというんです。ホルツマーデンの隣のキルヒハイムという音楽家の多い町にも話をしましたが交渉は難航しました。そこで、候補国をイタリアに切り替えたんです。イタリア人は陽気で面白く、話を持ちかけると「OK! OK!」と、二つ返事で応えてくれました。ベザーノのコロンボ町長も面白い人で、歌津で開催した「国際魚竜化石サミット」で締結を結んだ際には、わざわざ歌津まで28人の親子を連れて来てくれて、お互いにホームステイをして交流も行いました。
町には国際交流協会も作り、町の予算で子どもたちを国内外に送り出しました。小学生は国内の、海のある町と山のある町に行きます。山の町は山形の立川町(今の庄内町)。ここは風力発電を進めている風車のある風の町です。研修に行った先の町の子どもたちは歌津へ招待し、10月にワカメの種はさみ、2月はワカメ刈りの体験をしてもらいました。これは、立川が合併して庄内町になっても続いています。中学生以上は海外へ研修に行かせました。そして、大人たちもグランドゴルフで交流を行いました。
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