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小学校は6年、中学は3年までで、高等学校には行っていません。兄貴は行ったけど。中学を卒業して家の手伝いをしても、お金は稼げませんから。漁船漁業に行きました。気仙沼です。その頃で、高校に進学するのは、全学年98名のうち20人位いたか、いないかくらいでした。あとはその頃は東京に就職してたね。
ちょうど集団就職が、金のたまごとして、もてはやされていた時代でしたから。
最初の1年はマグロ漁に行っていました。よく獲れました。釣り方は、延縄って、針と針の間、25メートルくらいあるんなぁ。針をつけて冷凍したスルメをかけたり、サバをかけたり、サンマをかけたりして釣るんです。餌は冷凍庫に入っているものを買ってくるんです。それをその冷凍のまま餌として付けるんです。マグロを獲っていたのは1年くらいだったかなぁ。マグロをやってるとお金にならなくて遊びに行けないもので・・・(笑)。
主人は父親と同じ、船乗りでした。獲ってたものも、おんなじです。マグロとサンマ、サケ、マス。サケ、マスは儲かった人は儲かったんだろうねぇ。一度出てって長い時で(帰ってくるまで)6カ月くらいでしたかね。家に居ても何日でしたね。それが普通の生活でしたから。帰って一緒にいると喧嘩するから(笑)。デートなんか、なかなかそれはできません。旅行もできない。
養父は遠洋漁業の船乗りでした。ずっとね、マグロ船に乗って、北洋とかに行ってましたね。若い時は、カレイやカニも獲ってたみたいですけど、私が覚えてるのはマグロですね。一度船ででると、3カ月から半年ぐらい帰ってこないんです。たくさん魚が獲れれば帰ってくるのは早いけど。そういう生活ですよね、船乗りはね。
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