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戦国時代には、歌津町のなかでも戦いがあったんです。魚竜化石のある館崎、あそこには昔、館城(たてじょう)という城があって、それと牧野家が戦って、勝ったらしいんです。そして、その勝利の日を三嶋神社のご縁日にしたのだそうです。魚竜館のところにある管の浜(くだのはま)の前の山際の道路のあたりは、昔は全部湖でした。だから沼深(ぬまぶかい)という屋号になったとか。そういう、いろいろな歴史が書かれてあったんだと、私の祖父ちゃんは残念がっていました。
ワカメの養殖をやっているうちに、今度はここをずっと埋め立てをして、加工屋さんを集めて加工団地にしようっていう話が出ました。それだったらいいなって、「いいよ、いいよ」って申し込んだんですが、途中で計画がストップしてしまったんです。魚竜の化石が見つかったからです。それは天然記念物になりました。先に舘崎の浜で見つかって、色々調べたら、ここにもあるって話になって。
この地域には、魚竜化石以外にも、アンモナイトやナウマンゾウを発見した先生が発見したと言う、皿貝化石というのもあります。歌津には古い化石があるんだ!って、みんなにPRする、現地保存と普及の役割が「魚竜館」にありました。
加工団地の話が中止になって、化石も出て、「あれあれ?」って思っているうちに、「魚竜館」に直売所を作るっていう話になって、10人くらいで、漁師というよりも加工屋さんが集まって、直売所を始めました。
私が町長になる少し前の話です。親しくしていた仙台の東北放送の子会社(TBC開発)のAさんに呼び出されて、海外向けの観光PRのビデオを作りたいから協力してくれと言われたことがあります。
彼は、当時「わが町ど真ん中」という番組担当の部長さんでしたが、私が伊里前契約会の芸能部で魚竜化石をモチーフにした創作太鼓「魚竜太鼓」をやっていたので相談にきたのです。「魚竜太鼓」は、起承転結をつけた独特の創作太鼓で、昭和62(1987)年に仙台で東北博覧会が開催されたときに創ったものです。博覧会のために宮城県の各町で創作太鼓をやろうという話になり、ちょうど私が伊里前契約会の芸能部で祭りを担当していたので、創作太鼓も担当していたのです。
部長さんに、観光のPRには何がいいかと相談されたので、「仙台七夕か、すずめ踊りのようなものがいいんでないか」と言ったら、それでは宮城県を代表する観光PRにはならないと言われました。
そこで、「それなら、魚竜化石はどうだ。これなら誰もが認める天然記念物だし、世界最高のものと誇れるんじゃないか」と言ったんです。すると彼は1週間後に再びやって来て、魚竜太鼓をモチーフにした「魚竜舞(竜の舞)」というミュージカルはどうだろうと言うので、それじゃあ、やるかと協力したわけです。
平成11(1999)年には、イタリアのベザーノ(Besano)という町と友好町になりました。この町はスイスの国境付近にある町で、歌津と同じ魚竜化石の町。歌津では2億4千200万年前の魚竜化石が出土しているんです。ベザーノの化石は、歌津とは違って海が隆起した山から見つかったそうです。ベザーノのほかに、魚竜化石が出土した町としてはドイツのホルツマーデンがあります。
じつは、最初に友好町の話を持ちかけたのは、このホルツマーデンでした。しかし、ドイツという国はお金持ちの子どもしかホームステイができないというんです。ホルツマーデンの隣のキルヒハイムという音楽家の多い町にも話をしましたが交渉は難航しました。そこで、候補国をイタリアに切り替えたんです。イタリア人は陽気で面白く、話を持ちかけると「OK! OK!」と、二つ返事で応えてくれました。ベザーノのコロンボ町長も面白い人で、歌津で開催した「国際魚竜化石サミット」で締結を結んだ際には、わざわざ歌津まで28人の親子を連れて来てくれて、お互いにホームステイをして交流も行いました。
町には国際交流協会も作り、町の予算で子どもたちを国内外に送り出しました。小学生は国内の、海のある町と山のある町に行きます。山の町は山形の立川町(今の庄内町)。ここは風力発電を進めている風車のある風の町です。研修に行った先の町の子どもたちは歌津へ招待し、10月にワカメの種はさみ、2月はワカメ刈りの体験をしてもらいました。これは、立川が合併して庄内町になっても続いています。中学生以上は海外へ研修に行かせました。そして、大人たちもグランドゴルフで交流を行いました。
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