文字サイズ |
まず、私が新井田館跡発掘作業でお会いした田中則和先生に御礼の言葉を申し上げたいと思います。
先生には、私の慶長三陸津波の話を聞いて「力になりたい」と言ってくださり、私と共に自宅のありました戸倉在郷地区の海岸より歩いて2時間45分かけて、水戸辺川上流の津波最終到達点まで歩いていただきました。
南三陸町入谷ご出身の大正大学の山内明美先生にも、発掘の作業現場まで私に会いに来られた上に、私の話を聞いていただきました。感謝申し上げます。
山内先生をタタカイ沢にご案内したとき、何の説明もしていないのに、「西條さん、この奥にかつてなにかありませんでしたか? 人が住んでいませんでしたか?」と訊かれた時は、確かに戦後の食糧不足の時代に入植者が一時居て全員が去った歴史があり、言い当てられてびっくりしてしまいました。今まで誰もそんな質問をする方はなかったので、さすがの洞察力だと感じ入りました。
2013年11月6日、東北大学災害科学研究所助教の佐藤翔輔先生、蝦名裕一先生、その他2名の先生方にも、私と一緒にタタカイ沢まで行っていただきました。
その際に、佐藤先生のお持ちになった機械により、現在の水戸辺仮設住宅より約60メートルの場所にある「長の森寺(慶長大津波時に寺から逃げず赤い法衣を纏って一心に経文を唱え、膝まで波が来ながらも助かった住職の言い伝えがある)」とタタカイ沢が同じ高さであるとの答えが出て驚き、やはりここまで津波が来る可能性はあるということを改めて知ることができました。
皆様には遠方より来ていただき、これほどまでに82歳の私に尽くされた御厚意に感謝を申し上げ、お礼の言葉と致します。
地域のキーワード:タタカイ沢, 新井田館跡発掘作業, 東北大学災害科学研究所, 水戸辺川上流津波最終到達点, 田中則和, 長の森寺
Please use the navigation to move within this section.