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戦争当時はまだ良くて、精米でも食べていけたんだけど、だんだんほら、(業績が)落ちて。私が小学校に入る頃から、だんだんダメになって、精米の仕事がなくなってきました。
それでも、海が近いから、精米やりながら、昆布は採ってたの。昆布でけっこう、稼いでいました。気仙沼の天然昆布って有名ですよ。天然だから、夏になって、流れてきたのを仲間と拾って、あと干して、丸めて、お盆に売るんです。くるくるっと丸めて、このぐらいの丸さにして、それをお盆のお供えに飾ります。それは気仙沼では有名なんです。その後は漁協に出して売る。昆布は乾燥させて、後で食べる。そのうち精米やめて、父親が海仕事に切り替えたんだね。
昆布の時期は、昔は、だいたい6月末頃から、8月のお盆までに採って、その後は、10キロだの10何キロだのと、くるくる丸めて、丸く大きくしていくんですが、実際は、9月頃まで拾ってたんだよ。うちの収入はほとんどそれでした。気仙沼で海苔や牡蠣をやってる人は、それでの収入もありました。海苔と牡蠣の養殖が有名なんですよ。
私が中学校終わってすぐくらいに、昆布から切り替えて、ワカメの養殖になりました。家で養殖ワカメを干していたのは、じっちゃん(育子さんの父)が病気で倒れるまでだから、6~7年になるかな。年寄り2人でしてました。
弟たちは、都会で仕事持ったから出ていって、家に残ったのはじっちゃんとばっちゃん(育子さんの母)と、あと面倒はじいちゃん(育子さんの夫)つまりうちのだんなが見ててくれてました。それでも、2人とも丈夫だったから、あまり手かけなくても、何とか元気で養殖してたんです。ワカメの「挟み方」(ワカメの種を切って、ロープに挟み込んでいく作業)の時なんかは行って手伝うけど、収穫は2人してしてました。ある年、この辺で最初にワカメを刈りに行ったんですよ。そうしたら気仙沼で初ものだって、テレビに映りました(笑)。
だからうちの父親は昆布とワカメで生涯終ったの。それで亡くなってしまったの。どんな父親? んー、子どもには厳しいかな。子供たちはみんな怒られるんです。女の子に甘いとか無かったね。
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