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米作りでは自分のところだけでなく、他人から田を借りて5~6ヘクタールもの請負耕作をしました。その当時トラクターはなく、テーラーという耕運機で畑を耕したものです。牛も5頭飼って乳搾りをしたり、「上台ファーム」の自動車を買って、木を伐って炭を作り、それを車に乗せて仙台へ売りに行ったり、タバコの栽培もしましたし、養蚕もしました。ドジョウの養殖がいいと言ってやっていた時期もあります。いろいろ挑戦して、ほとんど失敗ですよ(笑)。
林業をしながら、米作り・畑仕事もしています。今朝もトラクターで耕してきました。トラクターでディープパープルやARBなどのロックを聴きながらね(笑)。今のトラクターにはエアコンもラジカセも付いています。ラジオはノイズが入るから聴こえないしね。
こういう家の仕事は、若い頃に手伝いで一通りやりました。田んぼの畦のクロ塗り(水田の水漏れを防ぐための作業)を、当時は機械なしで「よつこ」でやりましたよ。
今は96アールの田んぼで米を作っています。種籾は農協に注文して、ハウスで苗を約200箱作ります。種籾は、昔は塩水選(えんすいせん)で・・。比重計もあるんだけど、以前は、生卵を使い浮き沈みで比重を見ました。悪い種は浮くから、先人の知恵ですね。今は温湯(おんとう)消毒したものを持ってきてくれます。10アールに箱で約20枚分。しろかきや土入れは自分と家族でやっていますが、田植え時のような農繁期は、今も手伝いの人を頼んでいます。採りいれ後、収穫の60アール分は農協へ供出します。供出分は機械乾燥してもらいます。これが、翌年の農薬代や種籾代に充てられます。自宅で食べる保有米は自然乾燥しています。
学生の頃は他所でアルバイトをしたかったものですが、父が認めてくれないので、家の仕事をバイトとして小遣いをもらいました。自分が働いてもらったお金は、なかなか簡単に使えないもので思い入れのある品を買ったと思います。あこがれのブランドの洋服を買ったかなぁ・・。アルバイトといえば、昭和46・7年頃「クリスマス雪害」の時、雪の重みで木が全部曲がってしまったので、ジャッキを買い、ビニール紐で1本1本木を起こすのを手伝いました。
今も木を切ると、その当時のところが若干曲がっているのがわかるんですよ。
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