文字サイズ |
米は作って売るためのものでした。いいお米は売って、家では、普段はふるいにかけられた後の屑の米を食べるんです。10人家族で米の量も半端でないわけさ。お正月とか、祝い事のときだけはいい米を食べました。麦は、(売る為のもので)少ししか作っていませんでした。
おかずは味噌汁と野菜の漬物、そして魚。魚は川も海もあるから、たくさん食べましたよ。お袋が野菜を売って、その帰りに何か買ってきたもんです。
「ひた走る花屋—志津川・中瀬町の花々と星々と」佐藤徳郎さん
[宮城県本吉郡南三陸町志津川中瀬町]昭和26(1951)年生まれ
子どもが小さい頃から、お漬物やおひたしもおやつに出してましたけど、この辺では「鍋焼き」っていうのを作ってました。やっぱりお姑さんに教わってね。小麦粉を水で練って、鍋で焼いたのね。味はお塩とお砂糖と。昔は弦(つる)のついたおっきな鍋があったんです。
そこにトロンと落して、少しはがして、ひっくり返して。薄くて、モチモチした感じなんだね。そのまま切って食べたり、みょうがの葉っぱの載せて焼いて食べたり、あとは昔は青ジソがないから、赤しその葉っぱの上に、その練ったものを載せて、両方返して。そうすると葉っぱの形だけじゃなく、香りも移るからね。ゴマとかクリとか入れたら最高おいしいんだけど、せいぜいゴマふったりする位だね。
この辺では労働しますから、10時のおやつのことを「タバコ」っていうけれど、その時にまあ、そういうのおやつを食べたり、漬物、たくあんなんか出して食べたりしたんです。今のように、買って食べないからね。仕事がやっぱりきついから、おやつを食べるのね。今みたいに12時に昼じゃないんですよ。10時になると、「タバコだよ~」って声かけますね。
いつだかの新聞で、東京のほうから気仙沼の方さ来たお嫁さんが、お姑さんが「大工さんにタバコ出さい」って言われて煙草持ってったって。そんな話もあったですよね。なにもそんなおやつのこと、タバコなんて言うはずないと思うよね。
今の子たちは、遊び場もいっぱい増えて、わけわかんないくらいオモチャもあるけど、昔はそういうものがなにも無いんだものね。
遊ぶものなんてないから、海へ行くと干潮で波が引けるでしょ? そうすると、長い棒を使って貝を獲ったり、川へ行ってトンボを獲るような網で魚を獲ったり、そういうのが遊びでした。お金がかからないような遊びをしていました。
すかんぽ(イタドリ)って知ってる? 切って酢に漬けると真っ赤になるんです。きれいに。そうするとそれをおかずにしてお弁当に詰めたりしました。漬物です。後は、蕨を採ってきて煮物をしたり、蕗を採ってきて、漬けたり煮たり、お茄子を煮たり・・・。そういう仕事を、学校から下がってきてからしました。
いろいろな大人の真似をしました。
Please use the navigation to move within this section.