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父の実家は半農半漁でした。この辺はたいてい半農半漁でしたね。農業はお米ですね。漁は今のような漁師ではなく、磯漁です。天然もののアワビ、ウニ、あるいは海藻をとって、生計の足しにしていました。今よりも若干値段は安かったかもしれませんが、数量はありましたからね。ね。
アワビなんかは磯で1メートル50センチくらいの深さに、8センチから10センチ位の大きさのものが獲れました。アワビは3.3センチ以上の大きさを獲りなさいってことが決まっていたわけです。
家内もね、15年前、20年前はアワビの開口になると漁に出かけて行きましたよ。
私が子供の頃、うちでは米、大麦、大根、白菜を作ってました。家で食べる分を採って、残りを農協に売って。私が生まれたこの辺の人たちは、食べる分は自分とこで採ってたんじゃないかと思います。
海のものも豊富でしたからね。自給自足できる感じですね。海藻、アワビ、ウニ、あとはタコ。そういうのがいっぱい、獲れたんですよ。ええ、ごちそうです。
実家は百姓でした。それから、海仕事もしていました。アワビを獲ったり、ウニを獲ったり、あとは、歌津の海藻を一生懸命採ったんだっけねぇ。おらいの(うちの)お袋は、歌津の中でも海藻をたくさん、採ったほうだ。みんながカゴ1つぐれえと採る時は、2つぐれえ獲ったもんです。自慢でねえけど、それ位だから、腕では他の誰にも負げねんだ。「磯の博士」だ。
私は、お袋に「こういうふうにやるんだ」と教えられたんだね。「海藻を採るのに良い所はここだから、ここで獲れ」って、教えられたの。それが、やっぱり、勉強になったんでねえの。ちゃんと獲らねえど、お袋に怒られたから。海藻を採る時は、ざるのようなものを持って行ってね、それが一杯になると、それを袋に入れて持って帰るんです。
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