文字サイズ |
中学校終ってすぐ、洋裁の学校へ入ったんだけど、却ってお金がかかるし、兄弟多いから、これではダメだなと思って、1年半でやめて、浜松に働きに行ったんです。浜松では6年間働きました。
職場は、浜松の可美村といって、スズキの本社の近くにある紡績工場でした。そこは税金が安いのね(笑)。ガッチャンガッチャンと本当に手作業で織っていくんです。間違ったりなんかすると、手で全部それを取って、ある程度修正する。キズって出るんですよね。そのままずーっと長く織っていきます。
その可美村に学校がありましたね。何ていうんだろうね。もう40年も前の話だから名前は忘れちゃったね。一応、高校の家政科みたいになってるんです。会社が休みの土日に行っていました。スズキの本社の向かいにあってね、その当時はスズキも小さかったから、社長にだって普段から会えてしまうんです。ホンダもその近くでした。
いろんなこと、お花(華道)から、織物から、和裁洋裁、全部教えてくれるんです。そのほか、国語だとか、社会だとかそういう普通の学校の教科のようなものはないけど、社会に出て必要な道徳教育を受けました。女工さん、女の人ばっかりですよ。
今も思い出に残っている人と言えば、そこの学園長で、太田先生ですね。道徳の先生でした。ちょっと前に脳梗塞で亡くなりました。ホンダの創業者の本田宗一郎さんの苦労した話もよく聞かされました。トヨタが困った時にホンダが助けたというような話も聞きましたね。
Please use the navigation to move within this section.