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子供のころの遊び道具? 花だね。
この辺りは、実がなるんですよ。んーと、何て言う名前だったかな。そいつをちょっとこう折って、カランカランって鳴らしたり。
あとね、山に行って、何かわかんないんだけど、こんぐらいの花なんだけど、採って、口に入れて、甘くもなんないのに、それを何か、なめてたような気する。
他は、梅ッコ(梅干し)を盗んで、春にできる筍の皮の中に入れて、「スーッスーッスーッ」って吸うんです。昔は梅っコって貴重品だったの。それを筍の皮の中に入れて、そして皮を折って、折ったところの両方に、少し穴ッコが空いてるから、そこから「スーッ」って梅ッコの汁だけ、少しずつ吸うの。筍の皮に入れて隠すとわかんないんです。子供の知恵だね。梅ッコの数、数えてるかも知れないから、食べてしまうと(バレてしまって怒られるから)ね。でも、吸ってるだけでもやっぱりある程度は(バレて)怒られますよ。
あとはね、「なり物」食べましたね。ぐみなんか、今でもそこの畑の上にあるんだけど。それから、桑の実(マルベリー)。これはたくさん食べたなぁ。
何て言ったっけな? 十五夜にする時の、ススキの小っちゃいの、黒くて、猫じゃらしとは違うんだけど、覚えてないんだなあ、何ていう名前だか。黒っぽい灰色のような色で、小っちゃい棒をとって、そして「ツーッ」と吸って食べました。黒い汁だから口が真っ黒くなるんです。味がするんだかしないんだか分かんないけど、子供はみんなそういうものを食べました。食べるもの無いからね。今の子供は食べないですね。昔っからそうやって、勉強しないでそういうことばっかりしてました(笑)。こういうものは、まだまだいっぱいあったんです。
子どもの頃の楽しみといえば、やっぱり食べることなんですね。お腹がいつも空いていましたからね。山へ行って、くわご(桑の実の方言)とか、後は、茱萸(ぐみ)を採って食べるのが楽しみでした。
自然の恵みが多いとかそういうことではなくて、子どもの人数が多くて、皆が採るから競争みたいなもんですよ。当時は1クラスが40~50人。3組あって1学年150人くらいでした。
海にも、行きましたよ。潜って、タコを獲ったり・・。
そういうふうに遊んでいると、お腹が空いたり、喉が乾いたりするから、途中の畑に入って大根があれば、ちょっと無断で大根を頂いて食べたりしました。大根はね、土から顔を出している青い部分が甘いんだよ。お天道さまが当たっているところが青くなるでしょう? そこが甘いんです。で、そこを食べると美味しいの。下は辛いから・・。そういう時、犯罪意識とかそんな大げさなことは考えませんでしたね。今とは感覚が違いますね。とにかく、背に腹は代えられないと・・。
品種改良が進んでいないから、野菜なんかも今とは違います。美味しいというのが少し違うと思います。この辺は、梨とかリンゴもあまり無かったね。今は、ドンドン品種改良が進んで、種なしブドウとか出ていますけれど、当時喜んで食べていた物って、今ではあんまり売れないんじゃないかな?
柿は、当時からありました。甘柿と渋柿とありますね? 甘柿というのは、まだ木になっている青いうちから甘いんですよ。だから、そういうのは見逃しません(笑)。1つ無くなり、2つ無くなりしてね・・。その柿の木のある家の人たちの口には、ほとんど入らなかったと思いますよ。
「お正月は、お餅!」って思うだろうけど、お米がある人たちばかりじゃないから、もち米ばっかりじゃなくて、色々なものを混ぜて、豆を入れて豆餅とか、よもぎを混ぜて草餅とか。今は、わざわざそういう物を入れたほうが美味しいなんて言うけどさ。
で、もち米にうるち米(普段食べているご飯のお米)も混ぜるから、粘りのない餅になるんです。焼いても、食べると「ぼっきらぼっきら」って。ウチの弟は、「うる米餅はいらない」なんて言いました。ウチの弟だけじゃないけどね。
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