文字サイズ |
私は小学校3年生の夏休み、父親が病気になって、小泉に帰ってきたのですが、父親はその年、42歳で亡くなったんですね。
8月の暑いさなか、母親が、父親の枕元にみんな集まれって言いました。母親は、「父ちゃんは間もなく死ぬんだ。死ぬっていうことはあと、この世の中に生きてこられないんだよ。お前たちはこの家をしっかりやっていかなくちゃだめなんだよ」と言いながら、ガーゼを割り箸でつまみ、水を浸して「末期の水」で、父親の唇を濡らしてやったんですね。私たちはおんおん泣きました。そして母親がやったように、こうして脱脂綿で唇をこうして濡らしてやって。その時でさえ、母親は涙を流さないんです。気丈な女性だったんですね。
Please use the navigation to move within this section.
© 2012 東日本大震災 RQ聞き書きプロジェクト 「自分史」公開サイト. All Rights Reserved.