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神社の花火を上げた筒は、今は鉄なんですが、その当時は金属は無かったもんですから杉の木を割って、くりぬいて空洞にして、それを竹のダガ、桶なんか作るときに竹を細く切って編んでグルグル回すあれで、合わせて作ったんです。
それが、神社の縁の下にあったのを、だいぶ物心がついたときに見つけましてね。3本ぐらいありましたが、だいぶ年月が経っていて、竹は割れてしまって、合わせた奴が離れてしまっていました。
大人になってから、大工さんに、「古い奴はもう駄目だから、模造品をつくってくれねえか、昔小泉のお祭りの時に花火を上げた、そのひとつの名残としてひとつつくってくれねえか」ということでお願いして、2本ばかり作って貰ったんですね。それと、古くなってどうしようもなくなったのにはシートかけて、神社の拝殿の中に置いてあります。小さいころに小泉の神社の花火を上げたんだな、という思い出が大事にとってあるんですね。
小泉の花火って言うのは当時有名だったそうなんですね。岩手県の方まで応援に行って花火をしたそうなんですけど、その時に昔の家は今のような瓦じゃなくて草ぶきの家が多かったもんで、近くでどんどん花火を上げたら落ちて行って火事になってしまう。そして小泉の花火師がつかまったりしてね。そしてその後小泉の花火も駄目になってしまったんですね。
火薬の配合法など、いろんな記録はあったって聞いていました。たとえば火薬には炭の粉と魁皇の粉とか赤リンとか3種類くらい擦って粉にして、合わせるといい綺麗な花火になるからとか、他の人に読まれると他の人に秘伝が盗まれるから、暗号で書かれていたようですね。今の人たち見たって分かんないんですね。
ある家でその記録を持ってるって聞いたんですが、行ってみたら「ありませんね」って言う事だったんです。そういう記録がここ小泉の大事な大事な財産だったんでしょうけど、今は記録は無いんですよね。花火を上げた筒はあるんですから、それだけでも誰でも見れば分かるってことですね。文面がないんですね。
小泉地区にはそういう文章っていうのが今ほとんどないんですよね。先日も地元の小学校の子どもたちが学校から「郷土探検」っていう授業で来た時に、「昔小泉で花火を上げたんだよ」と筒を見せて話してやってるんです。
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