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お祭りの時に、小泉の川の方でサケ漁の祈祷をやっていたのを覚えていますね。小学校の低学年くらいの頃でしょうか。サケ漁は昔から小泉地方でやってたんですね。
それで祖父が、朝、サケを獲る漁師が寝泊まりしてた川沿いに行って、「今日も大漁になるように」と祈祷するわけです。孫である私の役目は、小さい太鼓を背負って「さあ、行く行く行く」って祖父と一緒に行って、ご祈祷の間はいて、太鼓を背負って、サケを1本もらって家に戻るんです。祖父は、帰らないで、そこでお酒を飲んだり、ごちそうになります。
私は身体が小さかったから、家まで持ってくるのが重くて大変だったんですよ。祖父が帰ってくると「あ、今朝な、ごくろうさん」って、お小遣いをもらいました。そんな祖父の思い出が、ありますね。
この八幡神社の宮司は私で17代目。それを書き残した文献も全部流して手元にはありません。どこかにあるはずだと思って宮城県神社庁に連絡して、もし文献があったらば欲しいとお願いはしているのですが。記憶にあっても、文献が全部ない、それが一番残念ですね。小泉小学校の子どもたちが、年に一度の「郷土探検」で、担任に引率されてこの八幡神社に来るのですが、そのときに神社の由来なんかをわかりやすく説明するんです。
私の住んでる地区は、昔は年に2回、春と秋、今は旧暦の10月19日に地域の祭典日があったんです。しかし、今回のこの震災で、地域の神社の宮司さんが不在になっています。歌津には宮司さんが2人いらっしゃったんです。田束山(たつがねさん)を信仰する宮司さんと、うちの方の八幡様の宮司さんが。私たちは八幡様の氏子なんだけど、そこの宮司さんがいなくなってしまったんですね。
お正月には、神棚に飾る幣束や「きりこ」を、宮司さんがみんな切って氏子に渡すわけです。だから、宮司さんが見つからなかったら今年のお正月はどうすんだろうなって思ったんです。
神職と教職を兼ねている人は多いですよ。お寺のお坊さんは、檀家が多ければそれ専属で生活できるわけです。宮司さんなんて氏子がいてもそれで生活できないでしょ。宮司さんの仕事なんて地鎮祭とお祭りとか、年に何回しかないんだから。これから宮司さんをどうするか、氏子は今悩んでるところなのです。今は他の地区の宮司さんにお願いする方法しかありません。宮司さんになるのは、お寺の和尚さんになるより難しいということでした。
「いや、誰でもできんだ、テープレコーダで音を流して、ダンダン、ダンダンって。烏帽子をかぶってやればいい」と冗談でそんな話もしていますが、本当に宮司を務める人がいなければ、ただあの、お正月のお飾りができないんです。都会と違ってわれわれは海と神様と深いかかわりを持って生活してきたんですから。
氏子も、昔は神社に何度も奉納する機会があったわけですが、今は単なる神社を回っての打ち鳴らし、要するに、神楽です。宮司さんの鳴らす太鼓は神楽の太鼓なんです。私自身、神社ではありませんが、青年団で神楽をやったので、ある程度の知識はあるんです。当時ある地区の郷土芸能を伝承しようということで、若い連中5〜6人を集めて、神楽を習いに行ったんです。そして、青年団で芸能部門で県の文化祭に参加して神楽を披露し、優秀な成績を収めたこともあります。
うちの部落で神社は3つあるんです。八幡神社(はちまんさん)ていうのは、各部落にあるもので、そのほかに白山神社、愛宕神社。祭りの時はお神楽で、その3箇所を回ることになっています。神社は、建てる位置も「田束山から見て南南西になんぼ」とか、角度が決まってるんですね。詳しいことは分かりませんが星回りなどが関係しているのかもしれません。
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